宇陀の旅-1
比曽寺(現・世尊寺境内) 阿太地区の阿陀比売神社から吉野川をさかのぼると大淀町に差し掛かる。ここには、田原本町で出会った難波さんのこんにゃく工房やぶせがあると聞いていたので激励がてらたずねてから古代山林修行者のセンターであった比曽寺(現・世尊寺)にお詣りした。 比曽寺塔礎石址 聖徳太子の時代に栄華を誇った比曽寺の東塔・西党との礎石や多重塔を確認し、松尾芭蕉の句碑と出会い、さらに吉野山から宇陀へと向かう。 比曽寺多重塔 神武東征の際に兄宇賀志・弟宇賀志(えうかし・おとうかし)の地名が残る地を訪ねると、ここには日本最古の山城が遺跡保存されていた。 宇賀志バス停 この宇陀の地こそが神武東征の真実の鍵を握るところだが、『日本書紀』の記事からは、熊野から入ったか紀の川から入ったかは判断の苦しいところだ。しかし、それぞれの土地の霊たちはどうささやきかけるかを確かめるのがこの旅の目的である。 高木の山城への杉林には国栖や土蜘蛛さながらに夥しいきのこたちが出迎えてくれた。 私にとってきのこたちは、こうした土地の霊たちの声を聴く絶好の素材である。 スギやヒノキのオチバタケの類かと思いきや、エセオリミキであった。 高木の山城 神武天皇になぞらえる北淡路の鍛冶集団は、こうして土着民とこぜりあいを繰り返しながら宇陀の地へ入ったのであろう。 宇太水分神社上社 この宇賀志村から右へいけば曽爾村と大和水銀鉱山跡地、さらに良弁の遺骨を送ったという開善寺址、そして天照大神巡行の御杖村。左へ行けば宇太水分神社上社から奥三輪の伊那佐山、宇太水分神社下社を経て墨坂へと至る。今回の旅はその楽しみを残してここまでとした。 次月はいよいよ曽爾村の旅で三重県境の地の宇陀に迫ってみたい。