夢みるきのこ
アラカルト384
ギャラリーきのこ150
マダラーノフの独り言759
ジャズきのこ81
きのこの文化誌・博物誌184
きのこ地蔵124
ヘテロソフィア・アート358
ムックきのこクラブ517
ロシアクラブ23
島なみクラブ30
きのこ星雲圏 (俳句メモランダム)105
きのこポエム24音詩への道44
きのこシアターPROJECT28
ぼくの新しい仲間たち195
きのこ目の日本史131
川西きのこクラブ71
マダラのジャズナビ 13
お番茶タイム11
世界のきのこ切手物語4
きのこもんならではの「きのこと発酵文化」3
21世紀のきのこと発酵文化11
きのこと発酵文化「月のしずく」93
ラボ M (ラ・ボエーム)18
きのこのイコノロジー1
きのこ通して地球を考える「月のしずく」22
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空海についてはすでに生前に読み切れないほどの書物を蔵しているが、もう一方の天台密教の雄・最澄に関しては蔵書が数えるほどしかないことが昨日一日かかって気が付いた。 資質の違いはあっても、我が国の宗教文化を理解するうえで最澄も比較検討すべきことが喫緊の課題となった今、最澄の動向も共有することにした。これが満たされれば平安期までの基礎資料はほぼすべて出揃うことになるのでこれから最終検討を入る。 余命を考えるとインプットとアウトプットを同時進行させる必要があり、来春からの課題として早急に克服しなければ。到底法然、親鸞、観阿弥、世阿弥、そして蕪村までたどり着けない。なんとしても蕪村の掘り起こしまでは生きている間にたどり着きたいものである。ちょっと背伸びの庶民の、庶民による、庶民のための芸術史はそれではじめて完結する。
2024年11月08日
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今年もきのこは極度な不作に終わりそうだ。深紅のタマゴタケは断末魔の悲鳴を挙げて子実体をここを先途と無理して多数きのこをつくり、季節の便りを告げるきのこたちはなりを潜めたまま、顔を出すことなく終わりそうだ。ドクツルタケは例年以上に美形で森の訪問者たちに秋波を送って迫る。近郊の里山は末期的表情を呈し始めて久しい。 真言密教の仏具である金剛杵を思わせるサンコタケが祈るように落ち葉の間から顔を覗かせていた。 コガネテングダケと思いきや、テングタケだった。Amanita pantherina も随分変種が多くなってきた。それもこれも強烈なサインを送っている。きわめて楽天的な私でさえガザの状況、トランプが帰り咲いた米大統領選、世界各国に絶えない紛争。口先ばかりで危機意識の皆無な政治家であふれた国会。闇バイトによ強盗殺人事件が日常化した我が国。野生動物の都市侵入の頻出化。どれをとっても全てが警鐘を鳴らしているように思える。
2024年11月07日
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天狗の仲間では数少ない可食のガンタケ。きのこに魅せられて40年。あと10年なんとか恥の上塗り人生をかさねることになりそうだ。 1クール8年のきのこ暦も来年より第Ⅴ期に突入。20歳を境に晩年と定めた私がまさかうだうだと生き長らえて喜寿を迎えさらに第5期を迎えようとは夢にも思っていなかったので、これからの8年余りは白紙の未来となる。偶々賜った余禄の歳月、すべてピンボケの頭とガタビシの四肢を奮い起こしながらなんとか全うしたい。 そのはじまりのはじまりが今週末11月10日のきのこイベントだ。鳥類が専門できのこも愛してやまない堺君のお膳立てでマツタケ山のきのこ狩。私は山歩きはまだ無理なので鍋番で待機するが、30名余りが採った秋のきのこを前に少しだけきのこの話をして再会を祝したい。すでに11月は予定びっしり。年が暮れるまでの2ケ月弱、大忙しの日々だが良弁にやっとけりがついたことで少し開放感もありいよいよ空海にいどもうと考えている。この8年の間に法然、世阿弥、蕪村まで秦氏を隠し味にして突っ走りたいと考えている。南無八幡、南無大悲きのこ菩薩。
2024年11月04日
11月1日はさそり座の新月だそうだ。写真はベニヤマタケ。きのこたちはまだ夏の名残りを引きずっており、気温も20度前後で出渋っているようだ。総合アートディレクターとしての空海にも取り掛かり始めた。面白くて遂のめり込んでしまう。古代史に関しても新しい友を得て、建国にまつわる神話に筋道をつける作業もぼつぼつまとめの季節に入って来た。これから10年、とにかく行けるところまでがむしゃらに歩き通そう。来週は週末のサロンのため、私の身近な秘密基地へきのこ採集に行ってくる。今日あたりから徐々に気温が下がればアカモミタケやショウゲンジにも会えるやもしれぬ。
2024年11月01日
9月17日の仲秋の名月の日に「月のしずく」53号を発送して以来、6日間出っ放しの日々。環境科学時代に大変お世話になったハラタケ・ギター工房の原さんとも連絡が取れ、ラオス帰りのチャリダーのガッキーさんとも久しぶりのメールが届き、姪のサーシャさんが夏休みを終えサンクトペテルブルグ大学へ帰る際につないでくれた須磨区の高倉山で知り合った私と同年配の古代史ファンM氏とK氏とも資料のやり取りが可能になり、月のしずくファンの宇治のM氏とも妹の主人の法事で親しく話す機会を得、連休前には粘菌作家のAさんともやっとじっくりと話が出来、KUNST画廊のオーナーOさんともようやく個人的な話を交わすことができ、奈良の幼馴染のUさんとも良弁についてじっくり話が出来、この1週間は毎日京阪神を飛び回ってきました。行きはよいよい帰りはこわい状態ながら、なんとか歩き倒して今日は一日家でのんびりしています。昨日はなんばへ出たついでにガッキーちゃんご推薦のインド映画の意欲作"ジベルタンダ ダブルX"も観て来て、非常に濃い七日間でした。ようやく死ぬまでにやるべきことがすべて出揃った感があり、身の引き締まる思いにとらわれています。
2024年09月22日
長年の懸案事項であった人物シリーズの奈良時代篇をようやくまとめることができた。10日遅れで「月のしずく」53号の編集と、3ケ月遅れの「夜の顔不思議な俳句会」3ケ月分の合評会記録も会員に発送、ようやくすべての時計の遅れを克服、いよいよ新しいスタートに立った。 病を得た時、それを好機ととらえて今でないと出来ないことを全てやってしまおうと決めた。1年と2ケ月でその第一歩を曲がりなりにも達成。これからが大変だが、何とかよちよち歩きであっても足で歩いて調べるくらいは出来るまでになった。命果てる瞬間までどうにか人の手を借りないでやっていく自信もついてきた。喜寿になってようやく人生の折り返し点に至るなんて遅すぎの感は否めないが、人それぞれというもの。さあ「七転び八起き」を繰り返しながらいのちのかぎり歩き続けることにしよう。
2024年09月11日
僕の熱い夏も終わりに近づき、やっと「月のしずく」53号の編集も大詰め。約10日遅れで発送出来そう。不死鳥のごとくとはなかなか参りませんがなんとかクリアしました。9月も大忙しの日々は続きますが秋から厳冬期まで息を抜かず駆け抜けましょう。
2024年09月05日
アスファルトに覆われた道路のど真ん中に立つ人工のポールに空蝉が3個体、仲良く並んでいた無事成虫となったようでめでたしめでたし。 しかし、今年は蝉しぐれに遭遇したのは7月に入ってからの事。危険な暑さを連日得意気に述べ立てるマスコミの気象予報士の訴えとは裏腹に、蝉時雨シャワーに全身を包まれる夏の盛りは年々短くなっているような気がする。淋しい限りだ。 別のところではノウタケが胞子散布も中途のまゝ、干からびているのに遭遇。由緒正しき夏が過去のものとなり生き物すべてにとって生きづらい時代が静かに進行している。
2024年08月01日
相も変わらずくちなしの花が香を高く放っている日曜日。ようやく曲がりなりにも「良弁伝」まとめ終えることができた。14万字を越えた原稿を12万字に詰める作業が明日から始まる。19時17分過ぎの月齢15.2の望月を眺めながらとりあえずホッと一息ついたところだ。
2024年07月21日
ヒナアンズタケ 昨日あたりから束の間の夏が始まったと感じている。積乱雲にはほど遠いがすでに夏雲候補がそこここに。 今年は不如意は数々あれど、おおむね私の目指す方向に周囲が足並みをそろえて来ているのが何よりうれしい。体調を整える上で素晴らしい示唆を与えてくれるリハの理学療法士さんも、9月で切られるとのこと。最終レッスンに忙しい。介護保険は本当に必要になる直前で保障の範囲でなくなるのは残念だが国の援助というものはそういうものだから仕方がないか。あとは自助努力あるのみとのことらしい。 最近は自分を病人と思わず活動することを始めた。ちょっと手足の動きがぎこちないと思っても無視することにしているので、行動範囲が格段に広がった。そう決意しただけでイブの年の後半は何とか下準備を終えることができそうでグーの一言。
2024年07月18日
早いものでこの間花穂を認めたと思いきやもう栃の木は実をつけはじめた。 百日紅のサルスベリも花開きはじめいよいよ夏本番。 八月は存分に楽しもうと思っているが光陰矢のごとく飛び去って行くのがちょっと気になる。一日を一日として十分にこなし得ていないのが見え見えだからだが、焦りは禁物。
2024年07月14日
梅雨しとどの街を抜け、昨日は雨の須磨海岸を眺めながら明石の自動車講習所へ行き免許更新を済ませてきた。免許証もピカピカの一年生。 今日は昼いちに「月のしずく」52号が印刷所から届く。来年へ向けて充実の日々が徐々に膨らみを増しているのが実感できる。雨のアジサイが家路につく僕を祝福していた。
2024年07月02日
生きる未練ということをここ20年来ずっと思ってきた。早世した人は別として私のように長生きしてしまった人間は誰しも未練がましいものを持ち続けて毎日を送っているものだ。どう生きても未練は残る。未練の為に人は生き、死ぬ間際になってもなおも未練を発散させる。 捩じ花も月見草も"生きる未練"を周りに精一杯振りまきながら咲いている。 くちなしの花も同様に高々と香りを振りまいている。願わくば、生きる未練がその時々、一抹の色気となって周りに刺激を与えることができれば良しとしなければならぬ。生きるに、経典に言う上品、中品、下品の別ありとすれば、生きるとは色香をうしなわないことを以て上品としなければならない。死ぬ瞬間まで色香を放つべく生き抜きたいものだ。
2024年06月28日
KUNST ARZT画廊の帰り道は、白川にそって河原町四条までのんびり散策することに。 ここは人でごったがえす京都でも清冽きわまりないせせらぎに包まれた静謐の時が流れる穴場である。幼な子のカップルがコスプレで小橋を渡っていたのが愛くるしくてパチリ。 花見小路近くまで下って来ると常連の青鷺に出会った。料亭の残り餌で生きている主のような存在でほほえましい。元気かいと声かけあって別れた。しばし生かされたしあわせを噛みしめながらの1時間余りの遊歩だった。
2024年06月08日
おおきんけいぎく(大金鶏菊)と並び、今戸外で過ごす人たちを楽しませる花はきんしばい(金糸梅)だろう。 あでやかな花弁は花蜂が好むと見えては虫たちの稼ぎ場となっている。 家へ帰ればプランターにはツルムラサキの花が迎えてくれる。葉は適当に摘んで天ぷらにして食べているがヌメリがあってなかなかのものだ。 誕生月の先月はネズミを食ったツチノコ同然に寝転んで暮らしてしまったが、刻々と時間は過ぎ去っていく。来年からはじまるきのこ暦第五期の8年は、私にとって活動できる最後の時期となるだろうから身体の不如意などに煩わされることなく歩き続け、時には駆けることも辞さずにやり抜く覚悟だ。明日は久しぶりに遠出をきめこんで京都の祇園から白川筋をさかのぼり新進気鋭のきのこを手がける漆工芸作家に会いに行ってくる。 先月は丹波で素晴らしい版画家に出会ったが、その第二弾となればと期待に胸膨らませている。
2024年06月06日
古史古伝、超古代史はこれまでできる限り敬して遠ざけてきたが、考古学、埋蔵文化財の充実とともに、私の中でもだんだん無視できぬ存在となってきている。末広がりのケヤキの新樹よろしく紀元前数百年の世界も、もはや歴史の闇とばかりは言っていられなくなってきた。今、猛スピードでそのあたりのところを読み進めているが、まもなくその成果も盛り込んでお話できる日がきそうである。
2024年05月30日
スズランの可憐な花がたちまち過去のものとなるときのこの季節が本格化するが、今年はすべてが前倒しになってはいてもなかなか寒気団も遠のかず変則的な気候が続いている。 今朝は僕の聖地にカワリハツが多数顔をのぞかせていた。スマホもカメラも持って出なかったので浅春の季節の何もない林地を載せておく。台風1号の発生もあり、夏のベニタケが出そろうと一挙に季節は夏に傾く。毎日のウオッチングが忙しくなる。明日はカワリハツの図像もお届けできるかな。
2024年05月26日
久々に独り徒歩でよちよちと神戸を見下ろす追谷墓地まで散歩がてらお参りしてきた。慰霊祭以後、2週間筋肉痛と風邪で寝込んでしまい初めて連休を言葉通りに休んでリフレッシュできたのはよかった。お墓も今度来るときは化粧道具一式持ってきてブラッシュアップしようと決意。 長いお付き合いのお地蔵さんにもご挨拶。今度は紅でもさして上げようかな。 ずっと息をひそめて目を合わさないようにしてきた内気なお地蔵さんにもハローとオムカカカビサンマエイソワカの御真言。このあばたが著しいお地蔵さんもちょっとお化粧してあげよう。神戸には化粧地蔵の習俗はないので薄化粧となるとそれなりに考えなくてはとあれこれ思い描いてまた半時間ほどやり過ごして午後の半分あまりを墓域で過ごした。 シャリンバイも花をつけいよいよ梅雨も近い。 乙女椿にかわって薔薇の花が次々と開き、港を見下ろしながらの坂下りは快適そのもの。 今日は、来年で戦後80年を迎える異民族慰霊祭の今後の方針を検討するためあれこれと独りごちて、小一時間人ひとりいない墓域でのんびり過ごした。途中どこかのCAFEをのぞこうかなと思ったが、さしてうまくもないコーヒー一杯でも最低500円以上するので、席料としては高すぎると思いパス。こんなのんびりする午後はジャズを聴く気にもなれなかったので、ジャズ喫茶の木馬もジャムジャムもビッグ・アップルも素通り、結局はコンビニで町カフェを楽しむことで済ませた。 何事もアンリーズナブル尽くしの世の中、それはそれでいいが何ともピッタリ感のない店ばかりなのでひたすらのぞき趣味に徹して夕方まで過ごした。しかし、道すがらにすれ違う若い女性はもう夏衣装でノースリーブ、ノーストッキングですがすがしくそれはそれで楽しい一日だった。 いつになっても女性がさわやかなのが救いだ。
2024年05月16日
大地が太陽の恵みを受けて温まってくると、アミガサの便りもちらほらと届き始めた。多忙を極める日々が続くが、わがポン友の追悼号もそろそろ編集段階に。4月は私にとっては異民族慰霊を控え一年の始まりの月。花鎮めの日々でもある。乙女椿は花びらの盛期は1日限り。命短し恋せよ乙女を地で行っている。 ちらほらと北方の森を思わせるスズランも見かける。 馬を酩酊させる馬酔木の花も勢いづいてきた。 藪椿はそこここに花房を散らし、よべの嵐で関東地方はかなり花時を終えたとの知らせがあったが、こちらはまだまだ大丈夫のようだ。いよいよ陽気に誘われてものみな動く時が始まった。
2024年04月10日
スーパーきのこ時代を真に始めるためには、政治嫌いの私が政治にかかわる唯一の原点から一歩を踏み出すしかない。それは生物学としてのキノコや菌類を手掛けてきた多くの研究者、採集者からも、文化人類学や生き物の博物誌に親しんできた人たちからも、我が国の古代史、天皇史をきわめてきた歴史家の皆さんからも前代未聞のことであったに違いない。しかし、地球上の帝国の植民地支配のはじめから、搾取や資源の簒奪が行われてきたことを、そろそろ人類だけにとどまらず全生物を対象として考察しなければならないことは明らかであるので、その視点を手放すわけにはいかない。不可視化こそが搾取の常套手段であり、目に見える微生物きのこはその指標となってきたと思われるからである。これからの10年にやるべきことは、きのこの博物誌はもちろん、異民族慰霊もきわめて重要なことである。昨日1日かけておじん臭くもやりおおせた発送準備だが、まずは最初の一歩としてふさわしいことだと思い返している。郵便局への往還に見た桜はすでに満開。これから幾たびの春を迎えることができるかは神のみぞ知ることであるが、いつ果てても悔いがない形で歩み始めることだけが私に残された課題であると思っている。
2024年04月07日
今日は終日雨で久しぶりにゆっくりした一日を過ごせた。 晴天にめぐまれた昨日、カスミソウがひと月以上も早く満開に。ナデシコの仲間と聞いたが石灰質の土壌を好むらしい。 昼過ぎまで図書館で過ごし、自習室で持参した『環太平洋先住民族の挑戦』を読み返した。20世紀の終わりの年に出た書物でウィルタ協会も中核メンバーの殆どが他界してしまったので機能不全に陥っているのでは。今年からはそろそろあらゆる痕跡を訪ねる活動を始めなければならないと考えている。
2024年04月04日
春を通り越してたちまち夏を迎えたような列島ですが、今日は夢見心地の名残りの山茶花が迎えてくれました。ここ数年の間に手足をもがれるように盟友の数々を見送ってきましたが、この2月に急逝したH氏は私にとってショックが大きすぎがっくりしてしまいました。 そんな私をさりげなく、しかし、しっかりと慰めてくれたのが藪椿や山茶花や侘助それに乙女椿でした。 山茶花は次の冬まで、藪椿もそろそろ終わり、乙女椿がようやく盛りを迎えようとしていますが、あでやかなカミーリアの数々に満たされながらもなんとも淋しい春になってしまいました。
2024年04月03日
三月もあと1週を残すのみとなりました。先週は読書が進み10冊ノートを取りながらの読書が。週末からの雨で一層拍車がかかったようです。シゾフィルム コムネ 、すなわち集団で発生、傘が分裂するといった意味合いのラテン名をもつスエヒロタケにも出会いました。モグラの仲間のヒミズの手のようなスエヒロタケの表情はまさにラテン名そのもの。 陽光に恵まれた先週にはうれしいハナニラの開花にも出会い、このじんわりと浸透する春雨でものみな活気づくことと思われます。春はそこまで来ています。 一方、歴史は21世紀の今でも社会主義や資本主義という名の帝国の分裂と再構成の飽くなき繰り返し。目下の読書の狙いは現代史における脱植民地化がいかに巧妙な手口で帝国の論理に組み込まれ再構成されていくかに集中しています。そして我が国古代史の方面では、『記・紀』の文献には現れてこない東国の存在についての深読みが目下の課題です。 まもなくめぐる昭和の日の異民族慰霊第49年祭は、2025年より始まるきのこ暦第五期のプレ・イベント。ここまで生かされるとは思っても見なかった私にとっても最期の8年となるように思えます。残り少なくなった盟友たちと精一杯の努力を果たしたいと思っています。 そうそう、先週観たアンジェイ・ワイダの遺作『残影』は、今の私の関心の核心部分に触れる内容を孕んでいましたので『月のしずく』次号で紹介いたします。次号はムックを支えてくれていたHくんの急逝の追悼号も兼ねています。本当に惜しい人を亡くしてしまいました。彼の遠野市での令和2年度佐々木喜善賞受賞作『遠野郷の9日間-佐々木喜善、伊能嘉矩、そしてニコライ・ネフスキイ』は遺作となってしまいましたが、版権帰属先の遠野市より許可を得ておりますのでいずれ何らかの形で「月のしずく」購読会員にはお届けしたいと考えています。
2024年03月25日
僕の聖地の日脚も伸び始めた。今日はこの近くのあずま屋で昼寝してしまった。 週末までの3日ほど陽気に恵まれ、チッチという笹鳴きからやっとホーホケキョウと正調のウグイスの初音が昨日から届くようになった。 今日は今は盛りの水仙に続き風変わりなラッパ?水仙に出会った。 温度がたった2-3度の違いで手足の硬直具合がてきめんに緩和されるので歩行訓練も格段に良くなる。左右の足をなるべく均等に使役して意識して歩く方法も昨日から大腿筋を使わずに腸腰筋で前に振り出すことを感覚的につかんで格段に進歩した気がしている。と言っても温度が少し下がると元の木阿弥だが。しかし、これからの10年の滑り出しとしてはなかなか順調に全てが運び始めた気がする。
2024年03月16日
今年8月末日まで自宅にこもって突き詰めなければならない読書計画を立てたので、その余暇を縫ってジャンルの違う学課を週6日、毎日3時限持つことに決めた。 大別して3科目。すべてきのこ曼荼羅を志向するスーパーきのこ学にからめた歴史哲学、日本史と世界史のトポロジー的考察、民衆的な総合芸術。私の場合は常に流れていなくては意味がないのですべて音楽を聴きながらの<ながら学習>となる。歳をとると読書は読んだ尻から忘れるので、ノートをとりながらの勉強でしかも学課ごとのノートではなく日記形式の1冊にする予定。3月に入って新月までに準備をしてすでに始まっておりノートも3冊目。昨日書き抜いたノートを今日読み返せば全くの初見に近く日々新鮮な気持で諸事が過ぎていくのも楽しい。
2024年03月12日
来年からのきのこ暦第Ⅴ期8年に備えて、過去20年余りのデジタル画像の目録作りを始めた。手始めに2016年月のしずく創刊に当たる2016年から初めてこの三日で2016,2017,2018,2019年まで終了。今月中に全て終えるつもりでいる。「月のしずく」も50号すべてのバックナンバーの記事の目録作りをはじめ20号まで書き出した。必須の作業だが、CD-Rで250枚以上のぎっしり図像をひとつひとつ見ていくのはなかなか骨の折れる作業だ。
2024年03月08日
ひな祭りの日の散歩は水仙づくし。方々で盛りの水仙に出会い、写真は撮らずにおこうと思っていたのに、自宅近くまで戻って来たところでついに根負けしてパチリ。 新しい読書法を考え付いて3月からはじめた。これで並行して3-4冊は読破できる。これからの10年、ボケと闘いながら3000冊はよみ、かつ忘れずに活用したいものだ。
2024年03月03日
社会福祉協議会から頂いた如月2月のカレンダー。この絵の作家は中尾易星さん。タイトルは「雪だるまとあそぼう!」だ。 弥生3月1日、この冬も霜がうっすら降りたような降雪が1日あっただけで、この絵のような雪だるまを作れるような雪に見舞われる日は山に囲まれた内陸盆地のわが町でさえ1日たりとてなかった。寒がりの私にはありがたい事この上無いが素直には喜べないものがある。 昨日発送を済ませた「月のしずく」50号以降の戦略もほぼ定まり、いよいよ啓蟄の日(地虫いずる日)も間近となってワクワクしたものを感じている。地虫に似たひとりひとりのささやかな抵抗も積もれば大きな力となる。何と言っても数にはまだまだ困らないのが地虫の心証。岸田内閣の提示した「新しい資本主義」やポピュリズムに代表される市民とはちょっと異なるちょっと背伸びの市民による「新しい資本主義」とは、GAFAMsに代表される富の一極集中を拒むことからはじまることは自明の選択。大挙して反対運動を唱える必要など不要。一人一人が夫々の持ち場でできることからはじめるだけでいい。 21世紀はネット社会の覆う地球で富の一極集中を可能にするシステムが完成する時代といえる。そんな地球でへそが茶を沸かすようなささやかな抵抗からクスクス笑いを絶やさずまずはじめようではないか。
2024年03月01日
いよいよ「月のしずく50号」出来上がって届きそうな予感。最期の10年の幕開けにふさわしいものとなってほしいものだ。 昨日からこれまで手をつけずに温めてきた『新書アフリカ』をいよいよ時満ちて繙きはじめている。グローバルサウスの代表は印度はもちろんだが、アフリカはわがジャズとの出会いから60年以上も温めてきた初心に帰る意味でもとりわけ重要なトポス。 ここにポストコロニアリズムの他者、とりわけ<異>の問題の全てのヒントが凝縮している。山恋い生活の日々、同時にジャズにはじまりサンバ・ボサノバ、そして熱帯音楽を追い続け想像力を駆使しつつ赤道周辺を何度も巡り巡って来た理由もここにある。 そして、アートこそが対立するさまざまなものをそのまま全てを抱擁して新たないのちをめざめさせる力となる。これを信じて、あと10年行けるところまで行こう。
2024年02月27日
「月のしずく」50号がまもなく仕上がってくる。これから10年余りの指針となる展望をなんとか成し得たと感じホッと一息。 山茶花は今至る所で最盛期を迎えているが、真っ盛りとは感じても、その一つ一つの花の命の成り行きを見極めることなく終わる。ことし初めてこの花のあでやかさにうっとりした。 月のしずく50号で紹介したが、気候変動危機の元凶は、デジタル汚染に極まることが判明した。この弥生3月中に出来ることから始める。まず、FACE BOOKをやめることから始めよう。メールとアマゾンは当面やめることは出来ない。新書主義の私にとってこのところ賜ったサンデー毎日の日々で始めたことは、トルストイが若い頃やっていた勉強法をまねて大学時代のような100分単位の講義時間を最低1日3時限以上設けて多方面の読書をさらに加速させること。とりあえずはその2点から始める。
2024年02月25日
思えば去年3月に変ちくりんな病を得て7月までの4ケ月入院リハビリ。7月退院して7ケ月が過ぎた。入院中の最初の4ケ月で左半身麻痺で動かなかったのを何とか動くまでにした。退院後の半年かけて痙縮(けいしゅく)に抗いながら、昔ごく普通にやっていたことの記憶を呼び起こしながら歩行訓練。1月も後半になってからようやく左足だけで歩くことのコツがわかって来た。驚いたことには、これまでの半年間ほぼ毎日歩いてきて、左足で歩いているつもりになっていたが、右足が本人も知られない形でそっと左足をかばって補助してきたことが判明。それでなくても風邪などで一日でも寝ようものなら即すべては元の木阿弥になり振り出しに戻ってしまうので風邪も引かれない。なんとも厄介なことで、これを数百万歩、いや数千万歩繰り返す中で無意識裡に足を振り出すまでにしてしまうのが課題なので普通の人に戻るだけで10年はかかりそうだ。 壊れた汽車ポッポの遊具、木馬に変わって新調されていた。 山茶花垣も今が最盛。溢れんばかりの花をつけている。寒波到来ではじまった今週も花の金曜日、寒さも和らいで足のこわばりも少し良好。3400m逆回りで37分。91,89m/分でてきめん数字がのびる。この一喜一憂だけで終わるのか、わが人生。
2024年02月09日
朝から昼過ぎまで図書館で色々と考え事をしてきた。 立ち枯れの赤松が印象的な昼下がりの風景。 すべては「想像力」の問題に帰するのだが、一切を肯定すると同時にその想像力が絶えず発動するためには何が必要か。それをずっと考えてきた。それが「月のしずく」50号からの基礎となる。古くて新しい言葉が何よりも求められる。
2024年02月07日
今日の歩行訓練。順路3400m 40分。85m/分。 昨日は、左足の力がついてきたと過信して靴下を片足立ちで履こうとしてころんじゃった。その転び方があまりに無防備そのものだったのであきれ返ってしまいました。転び場所が悪かったら骨折するところでした。くわばらくわばら。それで散歩も雨がふっていたことでしたのでやめにして晴耕雨読、いや晴読雨読で『ゲンダーヌ』と『法然の編集力』3度目のノート取りしながらの読破。 すこしずつ松岡正剛の ISIS 編集工学に基づく速読法も身に着いてきたようですが、まだまだ彼の1/10以下のスピード。一千冊千夜かかりそう。 足の方も見るからに足弱のおばあちゃんに申し訳なさそうな顔を向けられながら追い越されました。いつも会う兎さんが思わず笑ってしまうのをこらえて顔を洗うふりをしていました。今にみておれ、うさぎさん。
2024年02月06日
今年も震え上がるほどの寒さ抜きのまま春の兆しが至る処に。 人は環境に見事なくらい適応してしまうので、冬は相も変わらず寒いが、年々その寒さは和らいできている。寒がりの私にはありがたい限りだが・・・。 如月も4日の日曜日。暖かさの中でふとした拍子にこれでいいのかなと思ってしまう。
2024年02月04日
たまたま券をもらって覗いた兵庫陶芸美術館の「令和の新収蔵品展」で、 おのころ島の淡路や芦屋打出にも陶芸窯があった事を知った。上は淡路製陶の「色絵紅葉図花瓶」。 淡陶社の「三彩鉢」 ガラス越しで大分ピンが甘いがゆるせ。同じく淡路珉平社の「黄釉瓢形徳利」。 芦屋打出の「緑釉手桶形茶入れ」(右)と「錆絵象嵌花紋角鉢」2鉢(左・中) ほかにも文明開化期の神戸の絵付「色絵松竹梅文茶器」セット。 同じくコップの部分アップ。 ここは週末でもさほど込み合うことも無く借景が素晴らしくいつ来てもゆっくりできるのでうれしい限りだ。
2024年02月03日
1月最後の日は、県立美術館で開催されている安井仲治生誕120年の「僕の大切な写真」を観るため家を飛び出したが、久々の雨模様。「こんな日に都心にでるのに美術館はないぜ」と思い直して町の通りを見下ろせるカフェに行き、数時間通りを眺めて過ごした。複雑な気分で始まった1月もかくして終わった。始まったばかりのきさらぎ月の2月、さらに深く書籍の山へ。今日もうれしい事に雨。ここしばらくは晴耕雨読の日々。今日は、官僚生活を全うした「王陽明」の真実を探る読書の旅に出よう。
2024年02月01日
生きてあるだけでしあわせ? 睦月尽 今年は元日以来異常事態の日常化が深刻化してきていることを思い知らされる毎日だが、今日は旧暦の師走の十八夜。 これまでの3400m歩行訓練では巡行、逆行あわせて8回の平均は1分82.26mだ。今日は1分89.5m。いまさら反省しても仕方のないことだが私の脇見人生を象徴するような歩行記録で、一生懸命歩いているようでもつい脇見していることが良くわかる。最速で1分 103m、最低で1分 63m。 まだ左右の体重移動のバランスは正常位にはもどっていないが、理学療法士さんは右足を大きく、左足は小股でというが、それはむしろ逆のようだ。右足を軸にして左足を前に出す際に軽く蹴って大きく前方へ出し、体重をすばやく移動しながらかかとを梃子にして足先を90度上方へ回転させかかとから着地し同時に小指側から親指へと体重をうつしながら右足へという動作を意識的かつ正確にやりおおす訓練は、左足を大股で歩く方がベターだという事が判明。その方が左足を主体的に動かすことに繋がるようだ。それが効を奏して左脚の筋力が少しずつ回復してきている。これを無意識で出来るようになるまで続けるのだ。それに連動する形でこれに左腕の可動域を広げて行ければ願ったり叶ったりの状態になる。旧正月の元旦は2月10日、それまでにもう少しおジン臭い現状を改善したい。乙女椿ちゃんも応援してくれてることだしね。
2024年01月29日
寒気団到来と気象予報士から散々脅かされた今朝はそれでも晴れていたのでコース逆回りでピー熊さんのところでも立ち止まらず挨拶のみすませ歩行速度を測ってみた。3.4km36分、40分台、50分を上回ることはなかったので左足にちょっと筋力がもどってきたかなという感じがした。これが1日でも間があくと元の木阿弥だから厄介だ。今日ははじめて先を行く歩行者を一人追い越せた。やったぜベイビー。 明日は本格的な寒気に覆われるというが、また遠出してみようとひそかに思っている。去年暮れあたりから今里になぜかご縁があり、先週あたりからむくむくとよからぬ想念に取りつかれ始めているので決行する予定。
2024年01月23日
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朝からの雨もどこかへ 年初からの読書は、もっぱら過去の夥しい蔵書の再読からはじめた。日に焼けてかなり変色したページに半世紀に及ぶ書き込みを辿りながらの読書は全く身に覚えのないことばかり。だから長生きしてるんだと納得。 年末に必読書として買い求めたギョーム・ピトロン著・児玉しおり訳の『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』や図書館で借りた古代史関係の6冊もはさみながら読んでいるが、これも1年後には全く新鮮な面持ちで読み返すのだろうなと思いつつ。大寒過ぎの日曜日はやや寒気もゆるんで過ごしやすい午後を迎えた。とりあえず1日前に読んだ本を再読しながら記憶に留める必要な個所はとりあえずノートをとりながら、ボケはボケなりにさあ今日もはじめるとするか。
2024年01月21日
我が家が花で満たされる1月17日が過ぎれば喜雨の一日が訪れ、隠れ池の鴨たちもいつになく寄り添って大喜びの様子だ。 1月17日は、今は亡きスモクトノフスキーのロシア映画の名作『チャイコフスキー』を観て過ごした。2時間半の大作だが、いつ観てもあっという間に終わってしまう。やはり往年のロシア映画は素晴らしい。
2024年01月18日
小正月の15日は、松の内の終わり。小熊三兄弟もさすがに門松を取り払い、多肉植物に替わっていました。早朝お湿りのあった北摂地方は、私が戸外へ出る頃にはお日さまも雲間から顔をのぞかせていましたが、今日は晴れたり曇ったりの一日のようです。 今年1年の精進が続く8年の射程を決めるとあって、毎日の課題にも力が入ります。まずは昭和の日の異民族慰霊祭に向けて準備を始めることとしよう。
2024年01月15日
今日から月1回歩行テストを始めることにした。コミセンがスタート地点。コミセンから保育所 800m、8分。保育所から三田谷公園入口 300m、3分。公園からサミットホテル 600m、7分。サミットホテルから宝くじ売り場 100m、3分。宝くじ売り場から博物館北端 600m、6分。北端からシュラインロード400m、6分。シュラインロードからスタート地点600m、10分。計3.4kmに43分かかった計算である。 かかとを速やかに上げて後足を持ち上げ、指先が地面を離れる際に足先の小指から親指に力を心持ち移動しながら最後に親指で微妙に蹴り上げ、前に振り出し、次にかかとから着地して小指から親指へと順次着地。そして体重を十分に移動しながら右足を持ち上げる。これを最初は意識しすぎるくらい意識してはじめ、距離が伸びるにつれ、次第に無意識に繰り返す。私の場合この体重移動を難なくしているつもりだったが、右足が秘かに代行していることにこのほど気が付た。ただ歩くだけでも大変なことがようやく身に沁みてわかった。 ひたすら歩き、途中では美しいものだけを立ち止まらずに見る40分間。100m、約1分。理学療法士の基準の6分では約500m。これが2024年1月10日のデータ。これを基準値として知らん存ぜぬを決め込んだ左足を駆使して少しずつ短縮していく。なんとか雨に会わずに終了。次回は30分に短縮できるかな?。
2024年01月10日
明日で私の正月モ―ドは切り替え、門松はきのこに・・・。 今年の読書は、マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないか」の再読からはじまった。「神の問題」と「芸術の問題」を熟考するために。 乙女椿がまた開き始めた 「良弁伝」は道鏡の章で行きつ戻りつしている。道鏡という僧侶は考えればかんがえるほど可哀そうな気がしてならないのでそれをどう扱うかで筆がとまっている。 リハビリ散歩は私なりには歩行の点でちょっと改善が見られたような気がしている。その分歩く速度が速くなった。まだまだ普通の歩行感覚は取り戻せてはいないが、左右のゆれがやや少なくなったのは左足に自主的な動きが目覚めてきたからかもしれない。毎日の3.4kmコースを何分で歩けるか来週あたりから測定してみようと思っている。
2024年01月09日
コナラのどんぐり 切り株のサルノコシカケ ウメノキゴケと満天星の冬芽 花時を迎えいまだ夢見心地の山茶花 綻ぶを知らず固くつぼんだままの山茶花 一輪挿しの投げ入れに最適な藪椿の花 1月8日の隣人たち。深く静かに春を待っている。
2024年01月08日
高曇りの一日、隠れ沼と博物館の収蔵庫を散歩がてらのぞいて帰ってくると電話があって、茶屋町一郎さんが博物館まで来て新年の挨拶に伺いたいとの嬉しい声が。今日あたりひょっとしてと思っていたのがピタリ的中してやや驚きました。 飛来して沼になじんできたマガモ 自身の個展直前の繁忙期にもかかわらず、よくぞ遠くまで足を運んでくれました。 ちょうどグッドタイミングだったので、お抹茶とお菓子でもてなして、もっと話したかったがめずらしく遠慮するのでしばらく募る話をして駅まで送って行きました。 ヤグラタケとクロハツ ハシブトとハシボソカラス『月のしずく』の今年の抱負を語り合い、今年は益々過激にやろうと語り合い別れましたが、実に幸先の良い新年になりました。ありがとう。
2024年01月06日
去年の三ケ日の終わりは、芭蕉の絵巻見聞に嵯峨野の福田美術館を訪れたが、今年は40年近い活動の澱を一掃することに明け暮れている。 近くの小公園ではカニあるいは毛無し毛虫の遊具がポツリと立ち尽くしている。異類塚の象徴としての<きのこ塚>の必要性を今春ほど強く思ったことはかってない。外部性、他者性、資本主義の爛熟はかっての植民地政策や異民族の利用によって無限に外部、他者を濫造することによってなされた。永遠の異邦性こそがきのこの本質であること。私は40年前よりその事に気づき、微生物・きのこと親しむ文化醸成こそが21世紀の疲弊した地球を明日へとつなぐと信じて日本キノコ協会を興した。その当時感じた予兆がことごとく現実化してきた"人新世"時代、きのこは目には見えないが実在し、われわれの生命を育んでいる微生物や異類全体の生存証明として我々に働き駆けてきたことを想う。 来年よりはじまるきのこ暦第Ⅴ期8年を人新世紀元年ととらえてNEO博物学を脱構築しながら新たな指針のもと、活動をはじめなければならない。その脱成長資本主義の担い手はこれまでの苦い経験から極く少数のアーティストでしかありえないことが判明した。したがってヘテロソフィア芸術のトレンドにどれだけアーティストたちを集めることができるかにかかっている。政治や経済から自立した想像力の深化がためされる時代、これこそがあらゆる意味で人新世時代を支える武器を捨てた戦士像だと思っている。
2024年01月03日
大地を蔵するごとき地蔵の智慧がもっとも重要となる2024年の元旦は恙なく明けた。 午前の追谷墓苑は常と変わらず清々しい気に溢れていた。 続いて訪れた神戸護国神社の慰霊碑は初めて赤花の山茶花が咲いているのに出会いほのぼのとした雰囲気にしばし浸ることができた。 宮司が長期療養中の神社は、ご子息に当たる若い宮司の努力で拝殿周辺はで新たな試みも見られ活気が溢れていた。 すべては順調で大旦の厳粛な雰囲気に満ちていた。 久しぶりに会うはらかららも無病息災で今年初春に是非読んで欲しい新書『人新生の「資本論」』斎藤幸平著を紹介して年頭のあいさつに代えた。そして久しぶりの会食半ばの午後四時半ばに、長い揺れを感じた。能登半島沖を震源とする最大震度7の地震の始まりだ。新年早々希望の灯をかき消された人たちも多かかったことだろう。冥福を祈る他ない。次々と広がりをみせる被害状況がその大きさを示していた。年の暮れに感じた予感が元日には早くも現実に。気を引き締めて事態を直視するほかない。
2024年01月02日
龍年へカウントダウンが始まったが、私はなぜかウサちゃんに注目。ウクライナ、ガザ、中東、アフリカ、そして沖縄といずれも予断を許さない事態が進行しており、耳を立ててどんな些細な音ももらさず受け止めることを最優先させたい。
2023年12月29日
小春日続きのお天気は30日まで持ちそうだし、あしたの空にはうろこ雲。 でも身辺では、確実にお正月モードは進行している。きのうまでのサンタや裸足の公爵令嬢と打って変わってミニ葉牡丹と赤い花。 昨日までのクリスマスムードはほれこの通り一掃されていた。デコレーションケーキこそなかったが、俳友から贈られてきたバウンドケーキで何十年ぶりかでクリスマスも祝った。 肩くま子熊の三兄弟も門松立ててすまし顔。今年は半年お休みもらったが、まだまだ寝足りない気もするけれど、ふたご座の僕には追い風の運勢と誰かが言っていたし、後は永眠がまつばかりだからせめて目覚めている間ははいずり回らねば。 一切を放下したけやきの空にはひつじ雲。気魄を込めてぼちぼち動き出さないとこの地球暮らしは危うくなるばかり。頼みのきのこも大地の下でねを挙げはじめで久しい。 のんびり屋の最後の猶予期間はあと1年。それからの8年は海外も視野に入れて、「もういいよ。おっさん、いや、くそおじん!!。邪魔だからとっとと失せろよ」と言われても、倒れて起き上がれなくなる日まで、走れなくても走り続けているつもりでなんとかお茶を濁そうと思っている。 再来年のきのこ暦第Ⅴ期8年のはじまりに向け、来年1年、日々届いてくるニュースを全身をセンサーにしながら噛み分け、リハビリも益々強化しながら何としても復帰したい。「月のしずく」もいよいよ佳境に入る。
2023年12月27日
二度目の人生の最初の一歩となる1年が暮れていく。 地には歩道の目地を埋め尽くすどんぐり。彼らは酷暑の夏に花穂をつけ必至の努力の末に実となり、木より離れて新天地を目指したが、そのまま朽ちていく仲間たちだ。何億、何兆という夥しい数のきのこの胞子もその殆どが虚しく消えて行く。 これらはかっては生き物にとって想定内の出来事だった。 今はどうだろうか。 私の40年近くかけてきのこと対話し辿って来た「ああでもない、こうでもない」の試行錯誤の連続は、そのまま『きのこ通信』にはじまり、『MUSH』『たけ取物語』『ヘテロ』『きのこの手帖』MOOK『きのこ』『ムックきのこ』「月のしずく」に反映されされてきたが、やっと数名の盟友を得て内容も充実してきた。 今朝であった熊の親子。月のしずくの創造物<きのこ>が控え目に顔をのぞかせている。 小冊子『月のしずく』の目的は偏えに<ちょっと背伸び>を持続する庶民を何人作れるかにかかっている。微生物と発酵に基礎を置く雑文化の総合誌「月のしずく」の意義はこの一事にかかっている。 次号で100ケ月。ようやくやっと真に友とすべきは極々少数のアーティストたちであることが判明した。ちょっと背伸びの。 帝政ロシアにも雑階級という身分があった。我が国では雑戸。いずれも雑でくくられる集団である。秦氏がその多くを担ってきた。 その雑の意味を問い続けること。 さらにそれが異に転ずる契機を見定めること。 残るわずかな第二の人生。このことに絞って取り組んでいきたい。
2023年12月25日