映画『カンタ・ティモール』を観てきた。
愛宕寺の羅漢像 東ティモール 現人口107万人。面積14,900㎢ (東京・千葉・埼玉・神奈川の4都県をあわせた広さにの所に神戸市に相当する人口が住むと想像していただきけば分かりやすい)。 『カンタ・ティモール(歌え・ティモール)』は、この小さな国を舞台に人々の大地とのきずなを描くドキュメンタり―映画だ。 1999年独立までの24年間で人口の1/3を失うという狂気のような殺戮を受けた東ティモールの現実を大地とのきずなへとつながる想い一つで乗り越えてきた人たちの姿、語りを中心に8年の歳月を賭けて編まれ2011年6月にリリースされたこの作品は、全編心に響く音楽で充たされていた。それもそのはず、愛知県出身の作者ひろたまつこさん自身、大学在学中にたまたま訪れた東ティモールで偶然耳にした青年の歌(アレックス青年こと、ヘルベール・アレキソ・ロペス 1978年生まれ)に導かれて再訪するところからこの映画がはじまるからだ。 昨年3月の東北大震災以降、知らないことの罪を思い知らされてきた僕は、この映画でも日本政府が地下資源ビジネスのために自らの手を汚すことなくこの24年という気の遠くなるような阿鼻叫喚のちまたと化した小さな島への暴力に加担し続けてきた事実を静かに教えられて唖然としてしまった。 しかし、この映画が単なる告発ではなく、観る者に魂の救いを感じさせてくれるのは、作者がこの島の人たちと過去の悲しみをひもとき共有しながら、理不尽な暴力行為の最中にあってもお互いのいのちを分けあうように助け合い、大地への感謝を歌と踊りに示しつづけた心のありようにあえかな人類の未来への希望を見出そうとしているからだと思う。 この島の人たちの宗教はほとんどがカトリック系のキリスト教だが、ポルトガル領だったブラジルと良く似たブ―ドゥー教的なアニミズム自然宗教に彩られており、現在までもマルスというコカの葉に似た向精神植物を喫したシャーマンの声を大切にする。 大地母神の繰り出す自然の精・ル―リックはそんな人たちの逆境の時代を支え続けたようだ。映画は、ゲリラ兵や女たち、シャーマン、初代大統領のシャナナ・グスマンとのインタビューも織り込まれ、それぞれ心に沁みとおる言葉の数々で実に神々しい人たちで満たされている。 僕はこれからの世界は新たな装いをもった女性原理にもとづく共同体の実現こそが急務だと考え、性悪説に組するものでは決してないが、登場人物の誰ひとりとして怒りをむき出しにすることのないのにはやや疑問を覚えた。2002年5月20日の独立後10年を経た現在、農業立国であることに変りはないが、そもそも豊かな地下資源を保有してきたからこその占領や介入が繰り返された国土だ。その資源が自国のものとなって久しい現在、都市化やインフラ整備も進み、ゲリラから正規軍となり国防相も兼ねたグスマン氏のもとでの軍備も強化されていると考えられ、大地への思いはこの映画のままに不変なのだろうかと単純ながら思ってしまった。僕は原始キリスト教が大地母神を駆逐して普遍宗教となっていく過程が、どこの国の近代化の流れにもあると感じて、その超克こそが21世紀の地球を生きる者たちの課題だと考える者である。きのこを介した自然観照の旅はそのために繰り返されている。「父と子と精霊の男性原理一辺倒の三位一体のキリスト教に一旦は駆逐された大地母神・メデューサや月神の再来としての聖母マリアが必要とされたのはなぜか?」この設問のもとで近代化・西欧化を急ぐ小さな国々の現在進行形を見たい欲望に駆られる。 東南アジアの島々。同じアジアの島国ながらわが国とは全く異なる歴史に彩られた国々。今回、東ティモールにあまりに無知だった自分を深く恥じた。僕はMOOKきのこで提起した島なみクラブの可能性をまさに列強に蹂躙されたこの地域の過去、現代、近未来に見出したいと思ってきた。 その答えを自ら身を以って知るためにこそ、この『カンタ・ティモール』という映画は僕に投げかけられたのだと思う。音楽・ドキュメンタリー映画「カンタ・ティモール」監督 広田奈津子企画・制作 広田奈津子・小向定武庫荘駅南「トレピエ」主催 11月16日午後6時30分~ 1回のみ上映