死を認めれば幸福になる
「死」という言葉を聞くとどうしても反応してしまう。 夫の本の中にアルボムッレ・スマナサーラ著「無常の見方」というのがあり、なんとなくパラパラとめくっていたら、タイトルの言葉「死を認めれば幸福になる」という言葉を見つけて、ついそこの箇所を読んでしまった。「人はどうしようもないものをどうにかしようとして苦しむ死ぬこともどうしようもないことだから、悲しんでも仕方がない」 分かってるんだけど・・頭では分かってるんだけど「生命にある唯一の救いの道は 無常を知ること 理解することそしてそれに納得いくことです」死を認めることを「死随念」というそうだ。自分自身が確実に死に向かっていることを理解すること 理解はしている、人は死ぬ今までそんなことずっと当たり前だと思ってた。 なのに、自分の母親が死んだときそれが当たり前にはとうてい思えなかった 今もそうだ、信じられない思いが今もある。 当たり前だと思っていたはずなのにこんな風に苦しんでいる自分に驚いている。 今も死について考えると怖くて仕方がない。ましてや自分の死についてなんて、考えたくもないほど怖い。 それでも「死に向かっていること」を理解することが無常を知り、真に幸福に生きることに繋がるのだそうだ。 「死随念」する人は心の安らぎを感じるそうだ。今の瞬間を有効に生きることが出来るのだそうだ。 さっぱり分からない母を亡くしたとき、カイロのKさんも「きっと何かをつかんで立ち直ることが出来ますよ」と言った何かをつかんだ実感はいまだにない。 ただ今回、東日本大震災があって、それを他人事とは思えなくて それ以来何かにつけて、今、無事であることが奇跡のように思える瞬間が多くなった。 風呂に入って自分の身体を洗っている瞬間「今、大地震が来たら・・」と思う接骨院でマッサージを受けているときにもそう思う。「今、大地震が来たら、この瞬間は一気に崩れ去る」それを思うと、いま成していることが、当たり前で普通のことのようには思えなくなる。 本は最高の幸福は、今の瞬間、目の前にあるのですという言葉で締めくくられている。 スマナサーラ長老は感情的でなく真実を見据えて語る。それはあまりにも真理をついていて、おろおろハラハラ嘆く私はハッと冷静になれる。 心に安らぎが生まれる。なぜだろう・・ 夫はいい本を持っているな~と思う。 数年前、実際に長老にお会いしたことがある。その時の、スマナサーラ長老が部屋に入ってきたときのあの緊張感は今も鮮明に思い出される。 その人の存在自体が既に答えのようで何か疑問を発することが愚かのように言葉をなくす感じでした。 人の悩み、苦しみの根本を見抜いて語り続けている方です。お勧め「無常の見方」アルボムッレ・スマナサーラ【送料無料】無常の見方価格:1,500円(税込、送料別)