生きている限り進化
「いつも自分の演奏を友人や若い演奏家に聴いてもらい、自分が進化しているかどうか確かめている。自分自身では、時とともに失っている部分もあるし、進化しているところもあると思う。自分が今後どういうふうに進むのか難しい所に来ている。もう若くはないし、しかしとても年をとったというわけでもない。私は60歳を越して、日本では大人になった(還暦)と言うらしいが、自分にはなにかをやりとげたという気持ちはさらさらない。すべきこと、学ぶべきことが山のようにある。生きている限り、進化していきたい」 とは、昨年来日した際のマルタ・アルゲリッチの言葉。 ちょうど仕事で行き詰まりを感じて悩んでいた自分には、ストレートにこの言葉が入ってきた。 密林を迷い迷った挙句に急に目の前が開けたような。 自分が身に付けた技術を否定され、自分が作り上げたものが他人の手によりまるで砂の城のように脆くも崩され、自分の無力を感じていた時に聞いたアルゲリッチの言葉、自分とは天と地ほどの差があるとは言え、その時点での自分を進化させるきっかけとなった。 千変万化、そうだ自分のモットーはそうだった。 常に前を向いてゆこう。 久しぶりに取り出して聞いた、アルゲリッチとコンドラシンの火花散る演奏に涙が出そうになるくらい感動した。 与えられたポストで何かを身につけてゆけばいいさ。 どこに居ても何かを身に付ける姿勢いれば、どんな境遇にも耐えられる。 打たれ強く行こう。 今日は姪っ子と佐渡裕氏のヤングピープルズコンサートへ。 氏のライフワークとも言える、子供のためのコンサート。 とにかく楽しい。 今年のテーマは『指揮者ってなあに?』 氏のあの人懐っこい笑顔で、全身を使って、子供たちに判りやすく自分の仕事を教えてくれる。 『たくさんのオーケストラに触れると楽しい』 あ、この台詞、朝比奈先生の口からも聞いた台詞だ。 ”楽しい” ああ、結果として自分が行き詰まりから脱したのも、それだったなと。 氏のエネルギーは強烈でいい力を今日も貰った。 ちょっと空回りするところは相変わらずだが。 まぁそのオーバージェスチャー的なところも氏の持ち味か。 決して、”相手は子供だから”という手抜きではない。 久しぶりに聞きたくなって朝比奈先生と大フィルの『エロイカ』を。 朝比奈先生の英雄エロイカ 大らかな流れで、かといて冗長すぎず、素朴な中でも前進力を決して失わない。 朝比奈隆の職人芸が生きている。 私が朝比奈先生のタクトを聴きに行きだした頃はもう既にかなりの高齢で、明らかな出来・不出来の差があったように思うが、この70年代の師のタクトはすばらしい。 遅い。 でも、遅いからといって、その音の推進力を失っているわけではない。 同時期の新日本フィルとのモノの方がいいという声もあるけど、私はこの大フィルとの演奏の方がいいと思う。 生きている限り・・・昨年の今日のこの日、亡くなった知人が居る。その事を知ったのは更に日が経ってからだったが。自分の誕生日に亡くなられた、その事を知った時、何も言えなくなった。自分は生きている。ゆっくりでも歩いてゆこう。あせらずに。さあ、またボチボチと行くか。