YWCA でプレイバックシアター
朝から、なんていいお天気!!!\(◎o◎)/!気持ちのいい秋空の下、窓を開けると、どこからともなく、運動会のスピーカーから、賑やかな声が聴こえてくる。世間とは、ちょっと違うところにいる自分を感じながら、うらやましいと嫉んだり、淋しがったりすることもなく、大変だなぁと気の毒に思うこともなく、ただ、今のわたしは、違うところにいるという事実を、自然な感じで味わっている。毎年繰り返される季節ごとの行事で、今の自分がどこにいるか、確認できる。同じ事象であっても立ち居地が変わったり、同じ事象を見ていても、感じ方が変化するものなのだと、今更ながらに、その不思議な感覚を楽しむ。今日は、青空の下ではなく、室内で、WSだ。グループパレットと初めてのプレイバックシアター。案内には、> グループパレットは、知的なハンディキャップをもつ女性と共に> 楽しく余暇を過ごそうと活動しているグループです。と説明があった。わたしは、今日を楽しみにしていた。以前、知的障害者の働くスリランカカレーのお店を取材したことがあり、近所だったこともあって、そこの常連客にもなっていたことがあった。また、最近では、エイブルアートの関係で、知的障害の人たちがフラメンコを踊るという企画を知ったり、わたしにとって、親近感を覚える存在なのだ。なぜか、わたしがどこにいても、どこの切り口からも、つながることになる知的障害といわれている人たち。彼女たちから、わたしは、幾度となく、人間の素晴らしい純粋さを教えてもらっている。今日は、わたしが最もグランディングしていられるプレイバックシアターを通して、彼女たちに出会うことになった。昨日からの体調の悪さを引きずりながらも、彼女たちと時間を過ごすことを選んだ。その素直な感情表現や、表現の困難さを、その存在をかけて表現してくれていることが、わたしのエゴの塊を溶かしてくれる。彼女たちと一緒にいると、常に自分自身の在り方が問われる気がしていた。本当に感じているわたしと、表現しているわたしの不一致を、繊細に問い直すきっかけになっていた。今日、自分自身に対するそれまでの批判的な眼ではなく、わたしが、感じている彼女たちへのまなざしと同じ眼で、わたし自身をみた。そこには、愛おしい、不器用なわたしがいた。無理をしないで、過剰に引き受けないで、わたしをケアしようと、足早に帰宅する。