ストーリーの中に
秋から始まった、ココロとカラダのためのプレイバックシアター・エクササイズ。略して、ココカラPTエクササイズ!毎週木曜19:30-22:00 (2時間半)¥3,000 (チケット6回分¥15,000) 会場 Art of Life研究所 http://www.all-pt.com/sansahra.html#mapジムやヨガもいいけど、プレイバックシアターという手法を使って、ココロやカラダをほぐして、鋭気を補充するエクササイズ。仕事や学校帰りに、思いついたら、予約無しで、ふっと立ち寄ってもらえる、気軽な場所。気構え無しに、今のココロの状態、身体の状態で。シアターと名のつくものには、馴染みがないようでも、意外と、エクササイズが始まると、気持ちも身体も、動いていくようだ。安心した場があるからこそ、いつもとは違った自分にも出会える。頭の中で、ぐるぐると考えている事も、言葉にしたり、身体を動かすだけで、視点が大きく変わり、何かが変容していくのがわかる。たくさん動いた後に、あるテーマを抱えていた参加者に、テラーとして語ってもらうことになった。今日最後の時間、ストーリーとして、展開するはずが、アクティングしないまま、インタビューだけで、テラーが、新たな発見をし、静かにうなづき、充分だと語った。プレイバックシアターとしては、イレギュラーだが、今回の内容は、演じる必要がなかったようだった。コンダクターというよりも、セラピー的になってしまった。が、わたしは、それでよかったと思っている。プレイバックシアターが、万能だとは思わない。アクターのエネルギーを使って、表現されるまでもなく、混乱したテラーの話が整理され、テラーが望んでいた、新たな視点が発見され、そのことを大事に、壊れやすいものにでも触るように、そうっと抱きかかえて帰るなら、それ以上、見せつける必要もない。テラーのまぶたの裏で、それは再現(プレイバック)されていたし、コンダクティングしながらも、わたしの目には見えていた。むしろ、すでにプレイバックしながら、コンダクティングしていたともいえる。これは、ソロパフォーマンススタイルだったから、可能だったことともいえる。アクティングを省エネにして、コンダクティングしながら、再現した。こんな手法が、確立されるとは思っていないが、こういうこともあって許されるのだろう。プレイバック人の異論も聴きたいが、この場で感じた、深い癒しは、これがプレイバックでなかったとしても、問題はない。手法は、必要に応じて使われるべきだ。このココカラPTエクササイズという枠組みでは、プレイバックシアターという手法を主に使うけれど、それだけに限定される講座にはしたくない。わたしにはムリだ。演劇ワークショップ的になることもあるし、ダンスワークショップ的になることもある。また、セラピー的要素の強い内容になるかもしれないし、全く違った手法でアプローチするかもしれない。そう正確には、ココロとカラダのための、プレイバックシアター等をつかったエクササイズというべきだった。その場にいる人と、この時間をどう過ごすかは、その場にいる人に、決定権がある。「自己決定」という言葉が、キーワードに上がっていたが、たとえ、どんな状況にあろうとも、そして、たとえどんな選択をしようとも、その人にとって、それが必要だったと、あとでわかることがある。「選ばされた」と思っていたことも、「せっかく自己決定したのに、すぐに覆された」とむなしく思っていたことも、実は、大いなる自己決定のためにした、「小さな自己決定」に、囚われていたに過ぎない。ということが、ストーリーの中かで、明らかになってきた。そして、その大いなる自己決定を再発見した時、その大きな愛に驚くと共に、深い歓びに満ちる。ストーリーには、叡智が宿っている。その叡智を探すお手伝いをすることは、わたしの歓びだ。わたしの魂が歓ぶために、このココカラPTも始まったのかもしれない。感謝。