20100201我々はどこからきて、どこへ向かうのか(2)
2003年以降、チームは再編成され、新しいStrategyとして、下記3点を推進していった。(1)本業徹底を通じたマネジャー育成と、採用。結果的な収益向上 (Execution能力の向上)(2)高くても”いいもの”を買う戦略 (収益性立証されたモデル、経営者=Exe.ごと買う))(3)金融シナジーを生む新規事業戦略 (Eco-system concept, MARUI MODEL)ーーーーーーーーーーーーーーーー(1)は、M&A戦略とは質を異にする項目に見えるよね。しかし、事業拡大には「人(Manager)」が伴う。資本力にものを言わせてExpansionしたベンチャーが、その勢いをkeepできずに瓦解していったのは、人(Manager)が不足する『組織』規模・構造なのに、CEOがuncontrolableだったからだ。なので、M&A戦略の両輪だと思う。ーーーーーーーさて、(1)は具体的に何をしたか。全事業での『CEO直轄』での管理強化だ。PDCAの徹底、というと、本質が言い表せない。短時間でTOP直轄ツメ会をできるようなDirect Management system。BI、Command chain、組織設計だった。(Mokuhyo - Asakai - Nippou - Segmented - Gijiroku - ToDo List)CEOは、15分刻みで何十もの事業を直轄でツメた。全然ダメな部署には、デスクを異動して強烈にやっていた。但し、実際には、一人のCEOに頼ったマネジメントは続かない。体力的に。当時、多くの人がひどいワンマンカンパニーだ、と揶揄した。そんなことはCEOはわかっていたのだろうか。また、直轄で詰めるのはCEOではない。COOであるべきだ。しかし、全てのStrategyに優先する、戦略レベルで最優先事項だったのだろう。今、振り返ると、それがわかる。あそこでやらないといけなかった。すごく先を読んでいる人だと思う。当時は、我々社長室スタッフも、「直轄化は、零細企業に戻るようで退化しているように感じる」と訝りながら、CEOがパッとわかるようなDirect managementシステムを整備していった。というか、議事録・ToDOをまとめまくっていた。俺の人生、議事録書いて終わるのでは・・・と心配になったほどだ。僕らには見えないものが、CEOにはものすごく見えていた、ということだろう。ーーーーーーーーーーこのベタすぎる取組が、現在のManagement systemの高度化の礎となっている。半年近くこの直轄ツメを実体験したマネジャー達は、暗黙知としてこれを受け継ぎ、組織全体としてExecution力が上がった。2006年に急低下したROIの、2008年に向けた漸増はこれに立脚している。というか、2005年のROI 19%は、金融ビジネスのまやかしだから、本当に投資家要求利回り(15%)を超えたのは初めてだった。何も特別なことはなく、ただやるべき行動を徹底したら、そうなった。何もStrategicではない。むしろ、Operationレベルだ。但し、そこに目をつけて、早期に実現できたのは、2004年時点でStarategic Issueだと捉えたCEOがいたからだろう。ーーーーーーーーーーーーーーまた、この枠組を原型とした形式知として、現在の『PMI百日プラン』ないし、世界展開の礎となるManagement system標準化の取組に継承されている。(Mokuhyo - Asakai - Nippou - Segmented - Gijiroku - ToDo List)これを原型に事業拡大をしていくので、今後、2005~2007年に犯したROI低下を繰り返す暗愚はない、と考えています。以上