20110521_自分の責任(1)
グループ戦略上の事業の必要性自体は、自分の腹に落ちていたというより、この事業が持つ一部クライアントの必要性は理解していただからといって、必ずしもこの事業・サービス・テクノロジーである必然性には納得できていないなぜならば、全く収益性が見込まれないからだユーザーにも、クライアントにも、本質的な価値はテクノロジーではなく、バリューそのものなのだから。バリューのコンテナはなんだっていいんだ。代替案はたくさんあった。単純なプラスチックカード、という戦略だってあった。しかし、その点について、何も意見しなかったし、何も発言しなかった。ただ、ダラーっと存在していただけだ端末価格を劇的に下げるか、派生収益を得るようになるか、のどちらかが必要だどちらもができないと、大規模投資をするロジックを組めないもしくは、そのどちらかを前提にして、がんがん進めなければいけないテクノロジーには興味を持てなかったが、その大きさに非常に興味をそそられた。そして、その大きな仮説にTOPは賭けているしかし、これまで、TOP自身も大雑把な「夢」レベルを吹くだけで、何も現実的には関与していなかった彼も、自分の夢を誰かが実現してくれる、って淡い期待を持っていたのだろうその「夢」は、誰かが叶えてくれる、みんなが担いでくれる、ということはなかったましてや、ユーザーが担いでくれるなんて、ありえません僕自身も含めて、みんな乗っかっていただけだ「コンセプトがいいから、行くはずだ」的な過信・誤認に怖くて正面から見なかっただけだ。本当は、そんな大それたこと、どれだけ血と汗を流し、声を枯らさないといけないのかを。必ず、コンセプト自体の具現化に強い意志を持つ者が、全ての否定的意見・見解にめげず、全ての前世代のデファクトスタンダード(現金支払)、全ての無垢な思い込み、汗と涙で、ただし黙々と、つらいとか一切気にもかけず、全てを振り切って、なぎ倒し、巻き込んでいき・・・・、実現する。そのような者は、今までいなかった。僕は、そのことが、いやでいやでたまらなかったのだろう。僕は「誰のために働いているのか? 誰と働いているのか?」「何について責任を取るのか?」一切理解できなかった。ずっと抱えてきた気持ち悪さ・今までの案件と違う感の源泉は、それだった。だから、「僕は、なぜ、今、ここにいるのか?」レベルで完全にスタックしていた。すごくつらい1年だった何も動かなかったし、進まなかったし、自分は何も貢献することができなかった。存在の意味がなかった。ほかの時間に逃げ込んでいた。明日以降、この「夢」レベルの現実的取り組みが真剣に始まる真剣に向き合い、できることを全て並べて、やりきることに立ち向かう覚悟のとき。TOP自身がそれに対峙する。それに沿って、全構成員が対峙する。そう信じる。もし、やはり「意志を持つ者」がいなく、単なるポーズを全員がとっているのであれば、やはり、自分は何もできないし、価値がないし、その形で時間を浪費するのは、不義となる。その「強い意志を持つ者」の下で、構成員をまとめあげ、構成員の活動・効果を数値化・可視化するのが自分の仕事になるだろう「強い意志を持つ者」がいなかったから、自分は責任をとらなくていい、ということはない。このレベルの僕は「不作為」の責任をとらなければいけない「強い意志を持つ者がいない」ということを叫ばなかった、そのことについて、結果的にその間、自分を完全に遊ばせてしまったことについて、その代償・責任を100%負わなければならないそして、その上で、新しい取り組みへ関わろうじゃないか。それが筋だ。もし、新しい形ですら、自分の貢献度が生まれないのであれば、評価はさらにもう一段下がるし、そして、何よりも、このグループおよび戦略に対して、もう自分の存在意義はない。ということになる。以上