無縁遺骨。人権意識の成れの果ての件。
人の縁が希薄になった社会の象徴です。誰も引き取り手がなく行政の手で処理することになります。葬式は市の担当者一人だけという顛末になります。家父長制度が法律上廃止され、社会の変化がさらに進んで個の確立が進んだ結果、今度は人のつながりから放り出された人々が目立つようになってきました。 人権意識が進み、個人情報が尊重されるようになったのはいいのですが、それが人々の損得勘定を刺激し、出世とは人より損をしないこと、という風潮を蔓延させました。役所も個人情報保護を盾に責任を取りたがらない、自己責任で片付けます。下手に親切にしたら別のところからの攻撃に晒され大変なことになるからです。 無縁遺骨を問題とするか、それとも社会の成熟と捉えるかは人によるでしょう。死んでしまえば本人にはもうどうでもいい話だからです。私は死んだら千の風になると考える派です。冷たい墓石の下で過ごすつもりなどありません。だから縁なく無縁遺骨になっても仕方がないと考えます。しかし、残された人々にとっては産業廃棄物以上に厄介な問題です。まさか不燃ごみで処理してもらう、というわけには行かないからです。 このままでは孤独死や無縁遺骨は確実に増加していきます。この対策は個人情報の共有です。最近はマンションの隣の人が誰だかわからないという話はよく聞きます。それが無縁化を促進している原因の一つです。そこで、住所を入れたら役所のデータベースに繋がり名前や職業がわかる、というようにしたら、いいかもしれません。もちろん誰が検索したかは記録されます。プライバシーの保護を部分的に破るのです。 当然、それを嫌がる人もいるでしょう。というかみんな嫌でしょう。誰しもが知られたくない過去や現在があるからです。年齢に健康状態、前科があるとか失業しているとか離婚しているかというのも結局はわかってしまうからです。しかし一方でこれだけ孤立する人が増えてきたらどこかで歯止めをかけないと大変なことになります。 昔は、というか日本の歴史上、つい最近までプライバシーなどというものはありませんでした。みんなが一律ないのでそんなもんだと思って生活していました。その反面、長屋での人の繋がりはしっかりとしていて助け合っていました。武士などはさらに残酷で石高が公表されていたので収入は丸わかりです。今なら表札の下に年収が記載されているといった感じでしょうか。これはこれで面白い社会になると思います。そんなドラマが出てくるかもしれませんね。 下手にプライバシーとか言って隠すからしんどいのであって、何もかもバレてしまえば逆に開き直って自分を解放して気楽に生きることができるかもしれません。見栄を張らなければならない人はごく限られた数だけになります。 でも簡単にはそうならないでしょう。なぜなら、それでは社会の生産性が下がるからです。もっと言えば努力しなくなるからです。出世よりも現状維持に甘じてしまいます。ありのままでいいのですから。でも一時的だと私は見ています。というのも、一人ひとりが下手な見栄を張らずに済んだら、次はみんなでどうやったら楽しく暮らせるか考えるゆとりができるからです。 楽観的すぎますかね。もちろんプライバシーのない時代が万歳だったわけではありません。濃い仲間意識や助け合いの精神の一方で、酷い差別意識があったのも確かですから。だから個人を尊重し人権意識が唱えられたのです。結局はバランスの問題でこれで解決という魔法は存在しないと考えるのが一番正解なのでしょうね。 Destiny 体験版を遊びつくしてみた。 貴婦人の乗馬他 オーケストレーションにほんブログ村にほんブログ村↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります! もう一つのアリとキリギリスby 倖和(サチナゴム)