公共交通機関で広島、山口への旅(3日目)…(8/23)
江田島と呉へレンタカードライブ 3日目はレンタカーでまず江田島に向かいました。「軍事都市広島」を知る上で、陸軍の拠点だった広島城とともに、旧海軍の拠点だった呉と江田島に行くべきだと思ったのです。ちなみに読み方は「えだじま」ではなく「えたじま」だということを初めて知りました。 9時過ぎにホテルを出発し、9時半ごろに呉市付近を通り過ぎました。呉市付近では旧海軍工廠の跡地に日新製鋼などの製鉄所が立ち並んでいました。「音戸大橋」(清盛伝説の残る音戸の瀬戸にかかる音戸大橋を渡ったら倉橋島です) 倉橋島を20分ほど走ると早瀬の瀬戸があります。これまた狭い早瀬の瀬戸に架かる早瀬大橋を渡ると江田島に入りました。江田島市は現在の人口は約24,500人、戦後になって音戸大橋と早瀬大橋ができて江田島は陸続きになりました。 1888(明治21)年、江田島がまだ本当の島だった頃、海軍兵学校が東京の築地から移転してきました。それ以降、江田島は海軍士官養成の地となったのです。そして1890年には呉に海軍鎮守府が置かれます。広島県の瀬戸内海岸は旧海軍の重要な拠点となっていったのです。 10時20分頃、江田島の海上自衛隊敷地に着きました。旧海軍兵学校の跡地は今は海上自衛隊の第一術科学校と幹部候補生学校になっているのです。ここでは時間を区切って見学ツアーが行われていて、予約していなかった私たちも11時からのツアーに入ることができました。 11時になると見学者は40名ほど集まりました。案内の方が大講堂や赤レンガの幹部候補生学校を案内してくれました。正門を入ったときから感じたのですが、建物も庭も整然と整えられていました。それは清潔という言葉を超えた気高いオーラのような空気感を感じました。「大講堂の外観」(この大講堂は終戦直後は進駐軍の売店になっていたそうです)「大講堂の内部」(明日行われる入学式の準備が整えられていました) 大講堂は今は厳粛な儀式の場となっています。幹部候補生学校の卒業生はこの講堂を出て、正面にある岸壁から航海に出て行くのだそうです。「海が玄関」(岸壁は見学コースに入ってなくて残念でした~左側に戦艦陸奥の主砲が見えます) 休日で多くの学生は外出中で、当番の学生のみが残っているということでした。校内はとても静かで、見学者の足音や話し声がよく晴れた青空に吸い込まれていくようでした。「幹部候補生学校」(英国式の煉瓦積みの建物は旧海軍兵学校時代の名残りだそうです) 通路脇の庭には白い砂がしかれ箒で掃いた目があり、まるで京都の禅寺を思わせます。日本海海戦の時、兵士の下着から一切を着替えさせ艦艇の隅々まで清掃させたそうです。そこには、被弾して負傷者が出たとき清潔な環境で治療にあたれるようにという合理的な理由があったのです。このような、清潔を旨とする旧海軍の伝統は海上自衛隊にも生きているのです。「教育参考館」(草創期には薩摩出身の海軍大将が多かったことを再確認しました~陸軍は長州) 教育参考館には旧海軍時代からの海将の写真や略歴などをはじめ、様々な資料が展示してあり、戦争資料館として興味深いものでした。教育参考館の外の庭には、人間魚雷回天と大和の主砲の砲弾が展示してありました。これらも貴重な戦争資料です。 1時間半ほどの見学時間はあっという間に終わりました。最後に食堂で昼食を摂りました。海軍といったらカレーです。海上自衛隊でもやはりカレーで決まりです。「海軍カレー」(若い旅友が食べている大盛り、なるほどこれはきっちり2倍盛りではありませんか) 来た道をもどって呉に立ち寄りました。映画「男たちの大和」で使われた縮尺1/10の大和がある「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」と「てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)」にも立ち寄りました。修学旅行の小中学生や家族連れで大変にぎわっていました。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いしますにほんブログ村