開創1200年の「四国八十八ヶ所」…(11/01)
「だいだい四国八十八ヶ所」を読む 空海(のちに弘法大師)は814年、42歳のときに四国を巡って霊場を開いたといわれる。それがもとで四国の霊場が開かれたという。今年はそれから1200年となる記念の年である。 ただ、空海にまつわる伝説は各地に残っている。四国八十八ヶ所の霊場(寺院)も、そのすべてが1200年もの歴史を持つものではないというのは言うまでもない。 四国八十八ヶ所巡りはあまりにも関連本が多く、いまさら読んでみようという気にはならなかった。「霊場」巡りといいながら、今は八十八ヶ所の多くが大衆的な観光寺になっているようで、これまでのところ関心はほとんどなかった。 先日「だいたい四国八十八ヶ所」(宮田珠巳:集英社~2014年1月)という文庫本を手にしてパラパラめくっていて、ちょっと読んでみようかという気になった。「だいたい・・・」という書名が気軽そうだし、この著者の軽いノリの旅本はこれまでも読んだことがあったからだ。 最近の新書や文庫本のタイトルは、いかに人目を引きつけるかが勝負のようで、そのネーミングにはとてもあざとい。例えば「○○力」という本がヒットすると、とたんに「・・力」という本が書店にあふれだす。また、「○○は○○するな」みたいな書名には「本に命令されたくないぞ」と反発を感じ、いかにもその本の内容の貧しさを露呈しているようにも感じる。「だいたい四国八十八ヶ所」(結構お気楽な旅本作家と思っていた著者が、数回に分けて全コースを歩きとおした記録) この書名はいかにもそのままだった。著者の巡礼は御大師(弘法大師)さんへの厚い信仰心などではなく、単なる旅への好奇心からスタートしている。巡礼の心構えや霊場の紹介なども書かれているが、ともかく全てが素人目線なのである。そして、とにかく「だいたい」なのだ。 しかし、著者は結構熱心にお遍路しているのだ。日程の都合で、3年間に8回に分けて巡礼しているが、何と行程のほとんどを歩いているのだ。霊場(寺院)は四国4県にまたがっていて、1番札所の霊山寺(徳島県鳴門市)から88番札所の大窪寺(香川県さにき市)まで、総延長は1,100kmから1,400kmと言われ、歩き遍路では早い人でも40日はかかるという長丁場である。 著者は一日30km以上も歩いたり、「遍路転がし」という急坂や、23番札所薬王寺から室戸岬の24番札所最御崎寺までの恐怖の「無補給ロード」などを克服していく。特に恐かったのは歩道のないトンネルだったという。確かに、これは実際に歩いてみないとわからないことだ。「24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)」(室戸岬を望む高台にある~写真は2010年10月20日に車で訪れた時に撮影) 本の中で、いろんな「お遍路さん」との出会いについて触れている。歩き、自転車、バイク、自家用車、観光バス、実にいろんな形で四国八十八ヶ所巡礼が行われていることがわかる。また、お遍路さんへの「おせったい」の文化も地域によってはまだ残っているようだ。 文庫本ということもあり寺院の紹介は少ないが、特徴的な寺院については触れてある。時代の流れや観光化・世俗化によって、霊場という雰囲気とは異なったユニークな札所もあるようだ。 四国八十八ヶ所を巡る手段や楽しみ方は人それぞれだ。年間30万人ともいわれるひとり一人で違うようだ。これを読むと、いつかはバイクで四国八十八ヶ所を走っている自分があっても不思議ではないような気がしてきた。たた、その前にまだ走るべきところがあるにはあるが…。 「四国八十八ヶ所」は、世界最大のテーマパークではないかと思える。