生きるとは戦い続けることか…
■映画「デンデラ」 貧しい生活の中で口減らしのため姥捨て山に捨てられた老女たち。実は生き伸びて「デンデラ」という共同体を組織していた。そこにカユ(浅丘ルリ子)が新たに加わりメンバーは50人となる。「デンデラ」の創設者メイ(草笛光子)は、自分たちを捨てた村への復讐の戦いを呼びかける。 1983年にカンヌ映画祭グランプリを受賞した今村昌平監督の「楢山節考」の続編といったストーリー。今村昌平監督の長男天願大介が監督したことでも話題となった映画。 ほぼ全編が雪深い山の中のシーン。大部分が今年の1,2月に豪雪の山形県庄内地方で撮影されているから当然だけど、カラー映画でこれほど色彩に乏しい映画も珍しい。 登場人物がほぼ女性ばかりで、それも後期高齢者にあたる女性たち。しかも、それを演じる女優の多くが実年齢60歳代~70歳代という異色の映画。 風景に色が無いとともに、実は登場人物に色(お色気)が無いのだ。色彩に乏しい映画になるのは仕方がない。(この映画にお色気を期待していたわけでは、もちろんない) 女性の美しさや魅力を演じ続けてきた熟年女優たちが、どこまで老け役や汚れ役を演じられるか。特に浅丘ルリ子は初めてすっぴんで出演と話題になっていた。 だが、やはり浅丘の老け役は無理だった。「デンデラ」の中では一番若い70歳という設定(浅丘の実年齢も70歳)ではあるが、彼女のあの大きな目の輝きは、どうしても「歳を隠せない」ではなく「歳を表せない」のだ。 村への復讐戦を呼びかけるリーダーのメイに大部分は賛同している。ところが、一貫して戦うことに反対の立場のマサリ(倍賞美津子)も存在感がある。この二人の考えの対立が、この映画のテーマとして浮かび上がったかに見えた。 ところが、その時彼女らに強大な敵が現れる。それは雪崩という自然災害と、熊という自然界の生き物だった。そこから、話はやや混線(混戦)状態になってくるのだ。 生きるとは戦い続けることなのか。そしてまず戦うべき相手は「自然」ということなのか。「梅雨明け近し」 (色彩に乏しい映画を見た後だけに、空の青さがまぶしかった。~佐賀市内で)「鮮やかな色彩と豊かな味わい」(質量ともにナイスで店一番人気~佐賀市内の某フルーツパーラーで) 人は自然の力には勝てない。確かに東日本大震災はそれを改めて痛感させてくれた。「天災」とはよく言ったものだ。自然の力は人智を超えている。 ただ、今回の大震災後の福島原発の事故は「人災」であり、その解決に向けて、次々と「人災」が重なり出口がまったく見えない。我々は今どこへ向かおうとしているのか。 今日、多久市で玄海原発の再稼働問題に関する佐賀県主催の説明会が開催された。予定時間をオーバーして実施されたが、県民が安心、納得できる説明は何もなかったようだ。 「デンデラ」の入場料は、何も言わなくても1.000円だった。通常は50代以上のカップル1.000円という割引料金で観ているので年齢を証明する免許証を一応準備はしていたのだが。 あとで調べると、この映画は「1,000円均一」で公開となっていた。とは言っても、観客はシニア割引でいつも1,000円で映画を見られる年齢層の人がほとんどだったが・・・