「情緒豊かな松島~5」~archives series 29(7/20)
旧鎮西町立松島中学校 H.H先生による貴重な記録~5 「情緒豊かな松島」から、「二、島の概要」の「(9)その他」及び「三、学校沿革」を転載する。(9) その他 一、教会 昭和4年竣工 当時予算2,500円 大正14年教会設定 二、学校 昭和23年竣工 当時予算170,000円 昭和45年 新中学校落成 昭和50年 新小学校落成 三、埋築 昭和28年竣工 当時予算1,800,000円 昭和51年 防波堤 四、道路 昭和29年竣工 当時 村道 450m 幅員2m 昭和49年 新町道舗装完成 五、電気 昭和38年2月 自家発電(これ以前はランプ生活であった) 昭和43年10月 海底送電による電気導入 六、電話 昭和35年3月 松島最初の電話架設(公衆電話6番) 昭和44年2月 学校に初の電話架設(加唐島局37番)「職員住宅」(木造家族向け住宅2戸(S40)、奥に新築(S46)の職員住宅、その奥が水源地の堤防)三、学校沿革 明治10年頃 名護屋小学校加唐分教場の分教場が開設(当時戸数8戸) ・・・・・ 中略(不詳) 昭和17年7月28日 正式に松島分校として認可 昭和19年11月9日 一週間学校閉鎖(赤痢流行のため、生徒一名死亡) 昭和20年 6月1日 はしか、肺炎により学齢前児7名死亡 昭和21年1月24日 一学級増加 昭和23年9月1日 加唐中学校松島分校認可 昭和23年12月18日 校舎新築落成 昭和26年5月16日 中学校職員1名増員 昭和28年4月 分校としての予算獲得 昭和33年4月1日 中学校特配1名減、へき地集会場落成 昭和37年10月 へき地集会場に仮教室3学級設営 昭和38年2月 自家発電施設完成 昭和38年4月 職員1名特配 昭和38年10月 ミルク給食開始 昭和39年4月 中学校職員1名特配 昭和39年5月 旧校舎一部を教員住宅に改造 昭和40年4月 へき地給食補助 昭和40年6月 放送施設完成 昭和40年10月 パン給食開始 昭和40年11月 教員住宅2戸建設 昭和41年4月 中学校教員2名特配 昭和43年4月 九へき研究校指定 昭和44年2月 電話架設(電話加唐島局37番) 中学校新校舎建設用地買収整地 昭和44年4月 加唐小中学校より独立 松島小中学校として開校 (教職員数 小学校4名 中学校7名 計11名となる) 昭和44年7月10日 九州へき地教育研究大会(算数) 昭和45年4月 中学校新校舎完成 昭和46年12月 教員住宅4戸建設 昭和48年4月 生乳給食実施 昭和49年3月 小学校新校舎建設用地買収整地 昭和49年4月1日 中学校職員1名特配 昭和49年7月1日 小学校校舎新築起工 昭和49年11月27日 県教委主催 複式指導法研究会 昭和50年3月5日 小学校新校舎新築落成 昭和50年4月1日 中学校職員1名減「昭和51年度の体育大会」(左の木造家族向け職員住宅の向こうが小学校の新校舎、右が中学校の新校舎) 四、歴代職員一覧~これも貴重な記録であり、個人名及び勤務年数が掲載されている。 貴重な記録であるが、個人情報となるために人数だけを転載する。 明治時代 4名(判明した分だけであろう~以下同じ) 大正時代 8名 昭和時代 6名(戦前) 昭和時代 6名(国民学校時代) 昭和時代 20名(終戦後) 独立(加唐小中学校より)後~昭和50年度まで 20名 現在(昭和51年度) 校長(第4代) 1名 教頭(小学校) 1名 (中学校) 1名 養護教諭 1名 教諭(小学校) 3名 ※現在の項は自分が勤務した時の職員構成 教諭(中学校) 4名 なので、小中学校別に分類して記載した。 (この項、あと一回続く) ↓ランキングに参加しています、よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村