消えていく歴史ある地名(2/17)
■市町村合併と小中学校の統廃合で 市町村合併の歴史は、明治21(1888)年から22(1889)年にかけて行われた「明治の大合併」にさかのぼる。この時には市町村数が71,314から15,859に減少している。この時の合併の基準は、町村はおおむね小学校1校の区域とするというものだった。 1956(昭和31)年に新市町村建設促進法が施行され、1961(昭和36)年までの5年間で市町村数は3,472に減少した。これが「昭和の大合併」で、この時の町村の規模は新制中学校1校の区域とするもので人口8,000人以上が基準とされた。 3つ目は「平成の大合併」である。合併によって財政基盤強化や地方分権推進を図ることが目的とされた。合併特例債という有利な条件つきだったため、特例期限の2005(平成17)末までに駆け込み合併が相次いだ。学校区より行政の都合が優先されたのだ。 2000(平成12)年に3,229市町村(市671、町1990、村568)あった地方自治体は、10年後の2010(平成22)年には1,728市町村(市786、町 757、村185)まで減少した。 ※2012年1月時点では1,719市町村(市787、町748、村184)となっている。 参考資料:「ちょっと便利帳」→ http://www.benricho.org/ 市町村合併には、行財政強化やコスト節減、広域行政などのメリットとともに、多くのデメリットもある。そして、市町村合併は小中学校の統廃合にもつながっている。少子化でやむを得ないとは言え、全国各地で歴史ある地名を冠した小中学校が消えている。 このように市町村合併の最大の問題点は、歴史的な地名が消えていくことである。合併で、命名者のセンスを疑うようなひらがなやカタカナの新市名も出ている。また、市町村名が変ることで、その土地が持ってきた貴重な歴史が忘れ去られていく。 江戸時代に日本全図をつくった伊能忠敬の第一次測量は、蝦夷地(北海道)東岸の測量であった。今読んでいる「四千万歩の男」(井上ひさし~講談社文庫)の中に忠敬の測量日誌が引用されている。そこには頻繁に蝦夷地の地名が出てくる。 忠敬と共に旅をしている気持ちで読んでいるが、時々、地図帳のどこなのかわからない地名が出てくる。著者は「現在の○○町」などと注釈を入れているが、この「四千万歩の男」は「平成の大合併」前に書かれているので、町村名が変っている場合もあるのだ。 そんな時、川や山の名を見ると、おおよその場所が検討つく。市町村合併で旧来の地名が失われたりしても、川や山の名前は変らない。このことは新発見だった。 また、市町村合併によって昔の地名が復活した例もある。2005年(平成17年)9月1日北海道の渡島半島にある、旧瀬棚郡瀬棚町、旧瀬棚郡北檜山町、旧久遠郡大成町の3つの町が合併して「せたな町」ができた。その新しい町名は、アイヌ語の「セタルペシュペナイ」(犬が泳ぎ渡る川)が省略された「セタナイ」からきているという。「せたな町の風景」(今は雪に覆われているだろう。素朴で心地よい町だった~2011.6.17撮影) 北海道の地名は文字を持たなかったアイヌの言葉をもとにしている。だから無理して地名に漢字を当てるより、カタカナやひらがなのままのほうが違和感がない。そういう点では、「せたな町」は合併によって地名の歴史が復活した稀にみる好例だと思う。 なお、市町村合併によって市町村名から消えた旧市町村名や大字単位の地名を検索するには郵便番号が便利である。郵便番号が7桁になったのは「平成の大合併」前の1998年2月で、基本的には旧大字を単位に全国を網羅しているからだ。 「郵便番号検索」→http://www.post.japanpost.jp/zipcode/