琉球王国
約一月間の休暇を終えてオーストラリアに帰ってきた。今回は、沖縄、東京、マレーシア(KL)を訪ねて回った。これらの都市を訪ねて、様々な地域特有の文化や人々に触れることが出来た。今日から、少しずつ今回の旅を綴って行きたいと思う。まずは、”琉球”から始めるとしよう。沖縄に帰って直ぐに感じたのが、開発の早さである。至る所で建設が進み、以前見たことの無い建物があった。沖縄らしさが人気を呼んで開発が進んでいるが、沖縄らしさは失われて来ているのでは無いかと思う。人々は相変わらず”うちなーんちゅ”ではあるが。。。今回は、首里城を訪ねた時である。これは、”守礼門”である。沖縄が琉球王国だった頃に客人を最初に歓迎する場所であった。”守礼”とは”礼節を守る”という意味であり、門に掲げられている扁額には”守礼の邦”と書かれている。これが意味するのは、琉球は礼節を重んずる国であるという事である。歓会門である。首里城の城郭内へ入る第一の正門で、”歓会(かんかい)”とは歓迎するという意味である。首里城の正殿である。正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または”百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)”とよばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であった。正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日本や中国にも例がなく、琉球独自の形式であると言われている。首里城に隣接して建つ弁財天堂である。弁財天堂は航海安全を司る水の女神・弁財天を祀(まつ)っている。首里城が修復される以前であり、僕が小学生だった頃、弁財天堂と隣にある龍潭池でよく釣りをしていた。外来種のテラピアやザリガニが大量に獲れて非常に楽しい遊び場であった。その頃は外来種と言う言葉すらなど知るはずも無く、友達と遊んでいたのを覚えている。しかし、弁財天堂と龍潭池の様子は、ほんの数十年で恐ろしく様変わりしていた。僕の持っていたイメージとはかけ離れていた。釣りは禁止、地元の人は見かけず、観光地化に襲われていた。環境問題は別にして、人々が楽しむ、人々の憩いの場であった場所は、そこには存在していなかった。開発は確かに経済効果を生むであろうが、確実に何かを殺している。琉球王国であった沖縄は確実に存在する。それを誇りとして生きている人たちがいる。そして、独自の文化を利用し、”金儲けに走る人々”がいる。ほんの数十年前までは、金銭的に豊かではないが、心は豊かであったし満たされていた。これは、沖縄だけではなく何処の地域でも同じだと思う。このまま開発が進んで行って良い結果が生まれるのか疑問である。