中秋節。宋代の詩人蘇軾の調べが悠久の時を超えて私たちを魅了する
今日は朝から快晴。青空が広がる中、中秋節三連休最終日の今日、子供を連れて大きな公園の芝生広場へ行きました。今日は、2才から14歳まで、日本人の母と中国人の父を持つキッズ23人が集まり、秋のミニ運動会を開催しました。日本語のほうが得意な子、中国語のほうが得意な子、いろいろですが、みんな大切な仲間です。夜、家に帰ると、夫と義父が餃子を作って待っていてくれました。家族で餃子を食べながら、みんなで中秋節特別歌番組を見ていると、「明月幾時有?」という曲が流れてきました。水調歌頭明月幾時有? 把酒問青天。不知天上宮闕,今夕是何年。我欲乗風帰去,又恐(王京)楼玉宇,高処不勝寒。起舞弄清影,何似在人間。転朱閣,低綺戸,照無眠。不応有恨,何事長向別時円?人有悲歓離合,月有陰晴円缺,此事古難全。但愿人長久,千里共嬋娟。夫によると、「これは中国の古典で、君は100年経っても理解できない」のだそうですが、参考までにわたしのつたない理解はこんな感じ↓水調歌頭明月は何時お出ましになるのですか。酒を手に空に問う。天上の宮殿の暦は、今何年になるのだろう。私も風に乗って天上に帰りたい。でも玉の御殿のような高いところは、寒くて耐えられないだろう。月光のもと、舞いを舞って地に映る影を遊ぶ、なんて人間界らしいのだろう。月光は朱色の楼閣をめぐり、虹色の窓をくぐり、私を照らして眠れない。恨みがあるわけでもあるまいに、あなたはどうしていつも別離の時に丸いのか。人には喜びと悲しみ、出会いと別れがあり、月にはさやけき時と曇るとき、丸い日もあれば欠けている日もある。古来より完全というのは難きものだ。ただ、人は久しく千里のかなたより月光をめでることを望む。含蓄に富んだ詞の調べが人間界と月の世界、宋代と現代、はるかな時を隔ててなお、わたしたちの胸で音楽を奏でる。今晩は明るい月夜。まあるい月が私たち人間をただ静かに照らしている。中秋節快楽。遠くから、あなたのことを思っています。