母の命日
今日は母の39回目の命日、毎年5日は抜けるような青空になる日が多いのに今日は雨の中のお墓参りでした。父母、兄夫婦、姉、私の6人家族は取り立てて言うほどの問題もなく、平凡だけど幸せな暮らしを送ってました。12月には内孫の誕生を心待ちにしてた矢先、私達に突然不幸が訪れました。私が22歳の時、階下からお嫁さんの叫ぶ声に慌てて下りていくと母が交通事故に。すぐ搬送された病院に駆けつけましたが中々会わせてもらえず、やっと案内されたのが霊安室でした。前の晩、家族全員で母を囲んで昔話をしながら団欒してたのに、その母が包帯を巻かれ頭上にはお線香がたかれてて、変わり果てた姿となってました。一言の言葉も聞けず、母との突然のお別れでした。兄と連れ帰り、通夜、告別式と何も受け入れられないまま執り行われていき、余りのショックにその時のことは今でも断片的にしか思い出せません。母は亡くなる数年前から糖尿病を患い少々元気がなかったけれど、元々は明るく好奇心旺盛な女性でした。叔父のやっていた文房具店を40代で引き継ぎ、サラリーマンの父に協力してもらいながら、休日もなく頑張ってました。私達も中学の頃から随分と手伝わさせれましたが。問屋さんの招待もあり行く機会が多かったのですが、旅行が大好きで亡くなった年の春にはハワイにも行き、最後の旅行となりました。私の旅行好きは母譲りですね。手先が器用で人様の着物の仕立てを商売の合間にしたり、花嫁修業の娘さんに和裁を教えたりもしてまして頑張り屋さんでした。しかし躾には厳しく母を疎ましく思ってた時期もありました。高校の時、友人とオリンピックを観戦しに行くことになり、友人達と私服で行く約束をしてたのに母が許してくれず私は制服で行ったのです。駄目と言ったら頑として譲らず筋を通した母でした。私も子供を持ち母の愛情と理解できましたが、分かった時は親はなしですね。母の突然の死によって、人生はいつ何が起こるか分からないという事を22歳の時実感し、それからの私の人生観に大きく影響したように思います。当たり前だけど命は永遠ではないと、そして死装束だけを纏って旅立った母の姿に、あの世には何も持っていけないのだということを、心に深く刻み込まれました。2月に無事還暦を迎え母の歳を越した今、母が迎えることの出来なかった60代そして70代80代を、前向きに人生をエンジョイして悔いのない生き方をしていきたいと。そして命のあることに感謝して、小さな幸せ探しの旅を続けて行きたいと思います命日に母を思い出し、したためてみましたが、母への供養になることでしょう