親友のお父さまの告別式へ
親友のお父さまが、95年の生涯を終え旅立たれました。昨日お葬式に参列しお見送りをしてきました。 彼女とは先日の北欧旅行も一緒でしたが、出かける1ヶ月ほど前でしたか、検査で肺がんが見つかり気力が落ちてるので、行けるかどうかと心配してました。でもすぐに悪化する心配はないと判断し、心配しながらも出発しました。旅先からも毎日家族と連絡を取ってましたが、大丈夫とのことで安心して旅を続け、6日に帰国しました。しかし、帰って電話を入れたら、緊急入院したとのことで病院に駆けつけたそうです。お父さんは彼女に「待ってたよ~」と話され、その後様態が悪くなり2週間足らずで亡くなられました。彼女の帰りを待ってたのですね。お父さんにとって8日間は永かったことでしょう… ご夫婦二人で暮らしてましたので、彼女の姉弟3人が出向き面倒を見られてました。ここ数年は3人でシフトを組んで毎日夕飯作りに行っては、何かとお世話をしてました。彼女は商売をしてますが、合間におかずを作り店を閉めてから4,50分かけて持って行き、一緒に食べ洗濯や翌日の朝食の支度をしてということを週2回ほどしてたようです。彼女のご主人が協力的で力仕事など何でもやって、実の息子のようでした。彼女がこれだけ実家のお世話が出来たのは、ご主人の理解と協力があったからだと、そばで見ていて思いましたね。お式の時、ご主人が涙をこらえてる姿に、私の方が泣けてしまったほどです。ご主人に「永い間ご苦労様でしたね」と声を掛けたら「そんなこと言わないでよ~」と今にも泣きそうでした。 お父さまは旧家の長男で某銀行の支店長をされてた方です。厳格で寡黙、気難しそうで恐そうという感じで近寄りがたかったですね。彼女とは高校からの友人で、試験勉強という名目でお互いの家に泊りあったりして、お互いの家族のことも分かり合っていましたが、お父さんは近寄り難く、お話をしたことがなかったようにおもいます。お婆ちゃんが気丈な方で、お母さんは嫁として苦労をされたようですが、長男の立場のお父さんはお母さんをかばえなかったようです。そんな恨みではないけれど、老後は奥さんから「お父さん、お茶をお願い!お父さん、薬!」というようにお母さんはそばにある物もとらず、何もしないのよ~と彼女は苦笑してました。私の父も5年前95歳で逝きましたが、この時代の方は戦争を体験し、苦難を乗り越えてきました。戦後は日本を経済大国に成長させる原動力となり、家族を省みず働きずくめで黙々と頑張ってきた世代です。95年の永い人生を本当にご苦労様でしたと手を合わせてきました。お返しの中に「長寿銭」と書かれた袋に50円玉が入ってました。長生きのお裾分けですね。95歳まで生きたからと世間では歳に不足はないわねとか、大往生ですねと言いますが、私は95歳の父を亡くしたとき、子供にとって親の死は、歳に不足は無いということは無く、もっと生きてて欲しかったという思いをしましたので、それからは、決して人様にその言葉をかけないようになりました。彼女には「よく頑張ったわね、お父さんは幸せだったわよ」と声をかけてきました。