もう一度大名になりたいと思い続けた
★吉備野みちくさ小道ウォーク…その3 みちくさ小道っぽい石段の上に神社が現れる。 ここが浅尾藩陣屋跡です。 ガイドの浅野さん絶好調です。 初代蒔田広定は豊臣恩顧の大名で関ヶ原の合戦では西軍に参加したが徳川への石田三成謀反の第一報が認められ改易後、備中浅尾や大阪周辺など併せて一万石ちょっとで大名に列せられるものの石高では最下位から2番目の大名でした。 しかし2代・定正は弟の長広に3千石を分与、自分の所領と合わせて8,310石の旗本となった。更に3代・定行からは7,700石となった。 大名時代が33年、じっと我慢の旗本時代が227年。代々蒔田家当主はもう一度大名になりたいと思い続けたのでしょう。 幕末の文久3年(1863年)広孝は江戸市中警備の功績で、1万石に高直しをされて再度、大名となった。ただし、ここでも下から2番目のブービーメーカーでした。 蒔田広孝は旗本からの昇進であるため譜代大名に列席され定府大名となった。ところが世は幕末、動乱の時代が浅尾藩を翻弄するのです。(つづく)(井原線てくてく日記)JOIN“井原線ウォークと備中の窓”『井原線まちおこし横丁』