オナラについて考える
最近あまり出かけていないが、昨日は久しぶりにカミさんと出かけた。茨城県猿島町というところにある日本茶のカフェに行きたいというので行ってみた。おしゃれないいところであった。そしてその建物は隈研吾さんの設計だということだ。近くにその隈さんがやはり設計した小さな美術館があるというので、寄ってみた。非常にコンパクトなかわいい建物である。楽しかった。そこでトイレに行った。個室で用を足したところ、美術館を出た後で、カミさんにオナラの音が聞こえたと言われた。もちろん戸は閉めていたのだが、そして美術館の中では音楽もかかっていたが、けっこう距離があったはずのカミさんに聞こえたとは、恐るべき。受付にいたのは若い女性だったが、よくわからないが申し訳ないことをした。あやまるべきだったのか。わが家では、このオナラの話が非常に多い。なぜなのか。どこの家庭でもそうなのか。道場でも時々このオナラ騒ぎがある時があるが、なぜかわからないが爆笑になる。なぜオナラは笑いを呼ぶのか。考える必要がありそうだ。母親の話は実に悲しい。しかし同時にこんな笑いも存在することも確かなのだ。人生、悲喜こもごもというのは本当だと思う・・・