銃眼造りの西光寺
昨年の秋分の日、私は母と祖父のお墓参りに高流寺へ行きました。その帰り道、車で竹田温泉花水月のすぐ隣にある西光寺を通りかかったとき、母が久しぶりに昔お世話になった親類のお墓参りがしたいと言い出し、花を買って西光寺に向かいました。偶然立ち寄ったものの、ここがなかなか見所満載のお寺だったのです。西光寺の正面。以下の文は、境内にあった説明書等を参考に書きました。天嶽山西光寺は浄土宗西山派の寺で、本尊は阿弥陀如来です。中川家が播磨の国三木(兵庫県)から威移封された翌年の文禄四年(1595)に初代藩主中川秀成が岡藩をおとずれた「三木西光寺」の恵明上人(めみょうしょうにん)にこの地にとどまり寺を興すように求めて建立しました。はじめは市内の代官町に建てられましたが、延宝七年(1679)に現在地に移され、代々中川家の婦女子が葬られました。 この西光寺本殿は銃眼のある寺として、全国的にも珍しい造りです。はい、ここでSTUDY!銃眼とは、いったいなんでしょう?古い史跡を見ていると、城壁や土壁などに穴が空いていることに気づいたことがありますか?それが銃眼なのです。そこに銃を指し、敵を攻撃できるように工夫されているのですね~。この本殿には、正面に6つ、左右に各々8つ、後方にも2つある二層の入母屋造りであり、寺院が防衛的な役割を担っていたことを伺わせる貴重な建物です。 この地に移転する以前、ここの地には兵法家松坂蔵之助の住居があり、鉄砲を鋳造していたところともいわれているので、何か関連がありそうですね。また、この境内にある建物のほとんどが市の指定有形文化財となっています。指定されているのは、西光寺本堂(昭和47年4月1日)、西光寺山門(平成3年3月22日)、西光寺鐘楼附(つけたり)棟札(平成3年3月22日)となっています。西光寺鐘楼。 この鐘楼は、二階建ての鐘つき堂です。入母屋造りの本瓦葺で袴腰となっています。棟札により、建立年代が元禄四年(1691)とわかり、大分県内最古の鐘楼です。中に吊るされている梵鐘は、慶長14年(1609)5月27日に鋳造された銘文が刻まれています。高さ102cm、口径62.8cmで、近隣地区で現在に残る最古の梵鐘です。 そして西光寺には、こんな像も…。この像の人物については、またほかの資料といっしょに後日書きたいと思います。何気なく通る建物にも歴史あり、よく知る町でもいろいろあるものですね~。