枚方市駅と枚方公園駅の再開発を比較する
私の家から京阪本線の枚方市駅と枚方公園駅は1km位の所にある。この2つの駅周辺の再開発は対称的だった。1987年から1992年に行われた枚方市駅周辺の再開発は巨額を投じて駅とその前後1km位の線路も高架にし、岡本町の古い商店街を全部つぶしビオルネというショッピングセンターと高層マンションを建設した。駅の南側・北側両方のターミナルを拡張した。高架になった駅の下がデパ地下のようになった。交通施設・商業施設・住宅施設どれも拡張したのだった。枚方公園駅周辺は枚方市駅の再開発によって没落した。そこで1996年~2005年にかけて周辺地域の整理が行われた。駅前ターミナルを作りその下を全部駐輪場にした。駅と巨大な駐輪場が連結しているのだ。駅と前後の線路は地面のままである。しかし駅の横の踏切の渋滞を解消するためにバイパスを作った。枚方パークの前に広い路ができ高槻や香里園方面から車がスムースに抜らけれるようになった。枚方公園駅は駅から半径300mの範囲を空洞化させる事によって、交通アクセスは飛躍的に向上した。その結果駅から500m~1kmの周辺地域にどんどんマンションや商業施設ができ乗降客数は増え、周辺の不動産価格は上昇した。枚方市駅の周辺は商業ビル・オフィスビルのテナントがどんどん空いていき、岡東町や川原町など駅に近い地域がゴーストタウン化してきている。枚方公園駅周辺には商業ビル・オフィスビルはない。駅はハブのような物で、人が流れる基点でありさえすれば良い。そうすれば自然に周辺地域が民間の手で開発されてゆくものなのだ。枚方市は清掃工場の談合問題で揺れている。中司市長も責任を問われねばならない。しかし中司市長は有能な市長だった。枚方市駅周辺の再開発をした北側市長・大塩市長の時代に枚方市の財政は悪化した。枚方公園駅周辺の再開発を主導した中司氏は何が必要かを理解し、再開発地域の住民エゴや市職員労組と正面から対峙した人物だった事を忘れてはならない。清掃工場の談合問題については、改めて書く事にする。