佐々木朗希投手のボールには命が籠っていた。私は落成式延期で涙
金曜日の夕方ラジオで奥仲哲也さんの「免疫力を上げる生活力」の話を聞いていたら続いてスポーツジャーナリストの安倍正彦さんが「プロ野球春のキャンプリポート」の話をしていた。ロッテにドラフト1位で入った佐々木朗希投手を見てきたとのことである。球が速く、生きているようだ。球に命がこもっていると話していた。大投手になることを予測していたが凄いことだと思った。球に命が籠るのは恐らく天性のものだと思う。努力してそのような球が投げられる人もいると思うが大したことだと思う。もの書きでも文章に命がこもっていると表現されることがある。絵画や書などでも命が籠っていると感じられることがある。スポーツでも芸術でもその人が投げたり描いたものに命が籠っていなければ本物ではないのではないかと思った。本日の会議で3/14予定の自治会公民館の落成式と記念講演会が新型コロナウイルスの関係で延期になってしまった。がっかりである。私にとって公民館は命そのものである。60年間誰かが建てようとしても反対者がいてずっと建たなかった公民館、3年前に建設委員会を立ち上げてやっと完成してそのお披露目をしようとしたら延期になってしまった。佐々木のボールに命が籠っているとのことだが、我々の公民館にも命が籠っていると自負していたが残念無念である。しかし公民館がなくなってしまった訳ではない。命の籠った建物だが天下にお披露目できなかっただけだと考え落胆しすぎないようにしようと思う。これからの人生、世間にお披露目させてもらえないような出来事や作品があるかもしれないが、世間で認められるかどうかより命が籠っているかどうかの方が大事だと考え、命が籠った作品を生み出して行こうと思う。