人格者と言われて俄然力が湧いてきた老医師の話
植木屋さんに剪定してもらった庭庭の中央に咲いているアメリカフヨウある病院に80歳過ぎの老医師が常勤医師として勤めていた。勤務形態は朝8時半から午後5時半までで土日休みの他に研究日として水曜日にお休みを頂いていた。病院はリハビリ病院なので骨折や脳卒中、パーキンソン病などの指定難病、認知症などの患者さん達が日常生活復帰のためのリハビリが主体で、それ程の激しい肉体労働ではないが、発熱したり、食欲がなくなったり、尿が出なくなったりした時には神経を使うことがある。この老医師は自らの肉体の衰えを自覚しており、特に勤務から帰ってきて翌日の朝出勤するまでの間は体がだるくて仕方がない。ところが出勤すると元気になり早朝から回診して患者さんを激励して歩く。その日も病棟回診に行こうと階段をよちよち昇っていた時、後ろから中堅の女性理学療法士が追いついてきて「おはようございます。この頃暑くて大変ですね。でも先生はいつもお元気ですね」と声をかけてきた。「いや調子は良くないですよ」「どこかお悪いのですか?」「いや齢でね」「齢だなんてとてもそのように見えませんよ。先生のような人格者がこの病院に来てくれてどんなによかったか感謝しています」と言われた。その医師は自分を人格者とは到底思っていなかった。特に家に帰ってからは体が怠くてぐうたら生活をしており、人格者にはほど遠い人間だと思っていた。しかし他人からそのように言われると何故か嬉しくなり、回診ではいつもの倍くらいにこにこし、その後、患者に対する多職種間のカンファレンスや患者家族との面談でもいつもより明るく自信を持って対応することが出来た。自分が本当に人格者かどうか分からないのに人の言葉で喜んだり、悲しんだり主体性の無い人間だと思った。勤務中はしっかりしているが、勤務が終わってから体力の衰えを感じて色々な健康法や健康食品を試みているがいずれも殆ど効果はない。おそらく年齢的な衰えによるものと思われるが、その時が来るまではもっと元気でいられるように、生活法を見直し、食生活を見直していこうと考えている。本物の人格者かどうかは分からないが、外からそのように見てくれた人がいたことに感謝し、特に自宅での生活を健康的にすることを目指して、心を入れ替えようとその老医師は考えた。