高知・土佐の旅 日曜市
7月23日(木)から26日(日)まで高知県に里帰り?高速バスでJR高知駅から神戸市の三宮まで往復共に乗る旅を選んだ帰り道、少し時間が出来たので、高知城の方向へ散歩してみました。偶然日曜日だったので大手筋は日曜市が立っておりました。昔からこの市場は盛んで、食べ物から刃物までさまざまな物がなれべられておりました。大手筋の車道が解放されて、お店でいっぱい。定価販売ではないので、ただ言われた値段で買うのもいいが、掛け合って負けてもらうのも楽しみ。ニンニクが茎のついてまま並べられたいたお店キュ-リなどはおおむね3本で100円でした。写真は撮りませんでしたが、トマトは沢山のお店で展示されておりました。スイカのあれこれ時期のせいかスイカの展示が多かった。べにかんろと命名されていた黒い皮のスイカ・・・値段は1,000円以上高かった。皮は同じように黒いが中は黄色 普通の値段だった。北海道などで今1個5,000円もする黒いスイカを”でんすけ”などと称して販売が盛んですからこの日曜市に関しても関心を持って眺めまわりましたが、全国ほど極端な差別化はされていない感じでした。焼き鳥の屋台では、有名人の写真が沢山並べられておりました。高知城の大手門近くの路上から始まって高知駅方面に向かっているこの道路は屋台で埋め尽くされている。野菜などは、いわば家庭菜園などの作物から専門農家の物まで、実に様々の出来栄えの品物が並べられていて、値段もどこかのコンビにの如く1物1価格ではなくて、店ごとに思い思いの値段がついている感じだった。所謂掘り出し物のあるだろうが、だいたいは日常すぐに使う、食べる、身につけるのどの類が並べられているので、気楽に声がかけられそうだ。あいにくこの日はお天気が悪くてスッキリしなかったが、沢山の方々が店を覘き歩いておりました。この日曜市の通りから途中で大橋通に抜ける道があり、ここも日曜市の続きになっておりましたが、この通りの右側に大きな常設市の施設があって、その中では様々な材料の料理が売り物になっておりました。かつおタタキ定食OOO円の看板があったので、フラフラと誘い込まれて中に入りました。沢山の方が思い思いに注文した食べ物・飲み物を手にして真ん中のテ-ブルで食べておりましたので、早速800円のかつおタタキ定食を食べて見ました。にんにくをスライスした物が添えられているのが特色で、お陰で家に帰って一言ありました。”臭い、これ何?”皆さんも目の前でかつをが捌かれ焼かれる姿のお店写真を取りまくっておりました。私、電池切れで、ウム残念。余談;1946年(昭和21年12月21日早朝4時ごろ)南海大地震が大地を震わせました。私が11歳の頃で、長い地鳴りの音とその後にきた震動は忘れられませんが、高知市は、折角第二次世界大戦で焼かれた街が、この大地震の為再びほとんど燃えたそうだ。そこで再建に当って幹線となる道路を井桁状に設定して設計し、道幅も50mとか100m?とかの広い広い道路にして民家などを後ろに下げて拡張してので、今日非常にスッキリした町の景観となっております。この日曜市のある大手筋もその時に拡張された井桁の一つの道路だと思いますが、中央に大きな楠木や蘇鉄などが高く大きく伸びており、落ち着いて町並みとなっております。余談の続きとして言えば、私がこの街で過ごした1954年(昭和29年)から1958年頃、桟橋に向かう道路が鏡川に掛かっていた袂の家が立ち退き対象で、家の下にコロが入れられて建ったまま移動させる工法が珍しかったのではっきりと覚えております。その頃からでもざっと半世紀あまり、日曜市の様々な歴史を刻んできたのでしょうね。正確ではありませんが、月曜から日曜日まで、どこかの街で市が立っているはずですので、高知へ旅をされましたらホテルなどでお尋ねされるのも一興かと思います。