東京・浅草の浅草寺参拝と御朱印帖に記帳をお願いした話です。
関東は地震が多いので観光にも出かけたくない・・・なんて御託を並べている内にどしどし月日が経ち、長い間御無沙汰だったかつての職域東京、本当に久しぶりでした。まず、新幹線を降りて地上を歩いた時、方向感覚を失っていることに気が付いた。山手線に乗って上野駅経由地下鉄で浅草へ出かけるつもりだった。東京駅のホ-ムでしばらく考えました。慣れるのにかなりの時間が掛かった不思議な体験でした。さて:浅草です。外人さんも多いし、金曜日(10月21日)だというのにすごい人人。ここは歩道の後は車の多い車道になっているので、雷門の表側の風景の撮影にはあまり選択余地がないので難しい。東京をご存じの方はお分かりですが、この浅草寺の門の前は三叉路になっていて、その正面は厩橋の方向へ向かっている。東京を離れて長いので、この辺りの事も忘れているが:古今に有名な俳句: 「君は今 駒形あたり 時鳥」 2代目紺屋高尾(太夫) 時鳥はホトトギスの事の駒形もも大まかに言えばこの方面にある場所であろう。しばらく歩くと確か右側には「藪ソバ」があり、左側には「ひやむぎ」の名店があったはず。いまはどうでしょうか?雷門を入ってまずはお出迎えは、仲見世、いや大変の人の群れ「」「」さてここから進めば、ご存じ浅草寺に近付く。7,8年前にも大学の同期会を関東で開催の折浅草寺参拝が組み込まれていたからそれ以来の参拝となった。今回は御朱印帖に記帳をお願いすることが第一のテ-マであったので、頂いた御朱印から先にご紹介させて頂きます。東京のお寺さんでも最も多く参詣したことのあるところですが久しぶり、多くの方々に従って御朱印帖に記帳してもらいました。写真にした関係か、紙に色がついて見えますがもちろん白です、念のため。七福神の一つ、大黒天の御朱印何故、大黒天(だいこくてん)の御朱印をこの浅草寺で頂けるのか疑問のまま頂いて帰りましたがこの浅草寺の境内、というよりただいま御朱印帖の記帳してもらった場所 影向堂(ようごうどう)に祀られている事。浅草地区の中で、七福神が祀られているにあたり浅草寺がその一つである大黒天を祀る役割を担いそれを”影向堂”に祀ったということらしい。21,22,23日と3日間関東にいる間に数多くの神社仏閣を参詣して回り、御朱印帖に記帳願ったその端緒がこの浅草寺。創建は推古天皇36年(628年)とあった。東京でも最古のお寺さんだそうだ。雷門をくぐる時から予想されたことではあったがこの賑わい人形焼きにはやはり人気がある。珍しい立て札 ”下馬”立て札には「表参道には車両入るべからず」浅草警察署 云々昔、江戸時代、江戸城に登場する諸大名、江戸幕府役人などすべてが馬上での入場を禁止されていた御門の手前に”下馬”の様な立て札が立っていて徒歩などでしか入門出来なかった。この事から”下馬先門”の言葉が生まれたらしい。その言葉が今に生かされているのを発見、驚きましたし、お江戸東京ならではの事かとも思った。宝蔵門 雷門を潜り、仲見世の賑わいを経てこの御門、不確かですが宝蔵門かと思った。何処までも続く人の波。外人さんも多いし、ほとんど溶け込んで違和感が無かった。どのお寺に回っても、外人さんが多かったし御朱印は身に着けるお守りなど様々な物を注文されている姿を見て、神様仏様に接する心は人類の如何を問わない普遍的なものではないか?今回の旅では、かなりこの事を意識させられた旅だった。仁王様金網で厳重に囲われているし、照明もされていないのでこれで精いっぱいの写真です。多分 ”阿形” つまり仏様、本堂に向かって右側に立っている像でした。御本堂今回は何気なしに小銭入れを見て、いっぱいお賽銭を入れて、我が家の関係者一堂になり替わりその安寧を真剣に祈り、お願いしました。この浅草寺の参詣の後、地下鉄に乗り、山手線に乗って移動したが、その中に合った広告には「お賽銭はむやみやたら多い、或いは少ないのはご利益が無い」「50円か50円の倍数でないとよくないよ」みたいな記述があった。なるほど、小銭入れが溜まっているからと言って考えもなしに投げ入れるなんてとんでもない。これはしまった!!反省しよう。で、以後50円か50円の倍数にするように心がけて3日間の旅を終えました。この頃、三田市内をよくてバス、普段は自転車か歩きの人生で、世の中に贈れているなあ。こんなのが私の正直な81歳人生です。御本堂の左横に御朱印記帳の場所があった。影向堂(ようごうどう)と言う施設で、やはり仏様が祀られている。その一画だった。ただただ御朱印帖に記入をお願いできるという心のまま、進んでいてこの受付場所がヨウゴウドウ影向堂と呼ばれる由緒あるお堂とは知らなかったので、この写真しかない。すみません。本堂の横顔この浅草寺のご本尊は何か、ご存じだろうと思いますが、私は知らなかった。聖観音菩薩 つまり観音様であり、このお寺も別名は”あさくさかんのん”とこのお寺の公式ホ-ムペ-ジのトップにあった。きっと江戸っ子にはあさくさのかんのん、浅草の観音で通じるのだろう。御朱印の記帳場所から戻り、ご本堂の横から宝蔵門、雷門の方向を眺めて。本堂の軒先から左側、新しいテレビ塔の方向を臨む。お天気が良くなかったせいか、写真の写りがあまりよくありませんが写真の中央遠くに見えるテレビ塔も人気スポットのはず。この時間:14:06ですが、きっとここからテレビ塔に向かう方も多いことだろう。これで浅草寺における私の仕事?、観光は終わりました・・・と書きかけてが、最も大事な参詣行事を忘れるところでした。それがこれ! 外人さんにも大人気。この後、神田明神(神田神社)に向かい、また東京都のマンホ-ル蓋の写真も撮り、昼間の東京見物第一日は過ぎました。感想1. 方向感覚を失う事の怖さ、びっくりしました。2. 人の多さ、例えようがない多さ。昔はこの東京でごく普通に暮らしたかと思うと感無量でした。◎ ▲ ×今回(10月21日、22日、23日)訪れた神社仏閣 浅草寺 (境内に7福神の一つ大黒天が影向堂(ヨウゴウドウ)に祀られていた) 神田明神 氷川神社(大宮市) 帝釈天 (柴又) 増上寺 それぞれに、様々な感銘を受けた。地元三田の草花と自然の移ろいを綴りながら、御朱印の写真と参拝に伴う感銘を率直に綴ってみたい。七福神とは:大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん) [浅草名所七福神]の内、浅草寺では「大黒天」をお祀りしている。大黒天は元々インドや中国で寺院の守護や豊穣を司っていたが、日本では袋を背負い俵に乗る柔和な姿となる。大黒天の御朱印も堂内でお求めになれる。 ※ 浅草寺のHPより抜粋 2013.10.31追記