そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生
著者は横石知二氏三田市立図書館からかみさんが借りていた1冊で、教えられて読んでみて(@_@)。過疎に悩む農村が自分の郷里で、都会に出てから50年、常に付きまとうのは”我が故郷四万十町よ 栄えて下さい” の思いだったから。この『そうだ 葉っぱを売ろう 過疎の町 どん底からの再生』の本を読んで、故郷が再生するのに必要なヒントが100%書き込まれた著作だと感激しました。勿論、この著作の町はもともとの人口が6000人あまりから2,000人台に落ち込んだ地域であり、四万十町とは存立の元を無視して語ることは出来ないが、大いに参考になる部分があると感じました。1. 過疎の町で、高齢者の締める割合が高い所は、高齢者が暇つぶしをしないで、 意欲的に働くよう周囲から工夫することが肝要だ。 手足を動かすと知恵が働き、意欲が湧いて、健康で病気になる割合が激減する。2. 日銭や毎月のように収入を得られる仕事作りには、率先垂範働くリ-ダ-が要ること3. そのリ-ダ-も現場主義に徹する人であること。などが語られていた。この本の町、徳島県勝浦郡上勝町は、テレビなどで盛んに放映されたので、知識としてはあったが、何故そんなに有名になったのか。そのことについて、著者横石知二氏が詳細に触れているが、すざましい努力が必要なことがわかった。衆議院議員選挙も間近で。国を挙げて地方の再生について議論され、我が党こそ、我が政権こそ再生を決めてみせると主張しているが、少なくとも国や県など上のほうから着手しても健全で長続きのする再生は難しいのではないかと思わせるような内容になっている。この上勝町は標高が100mから700mに人が住み、農業を行って生活している。徳島市から1時間。横石知二さんは昭和54年(1979年)に徳島県農業大学を卒業されて、いわばとりあえずこの上勝町の農協に就職されて、紆余曲折の末、生涯この町で働きそうな現況にあるらしい。テレビなどで紹介されているので詳細は省くが、”さしみのつま”と言われる料理の飾りに使われる紅葉、南天、梅の小枝・・・はかって料亭の板前さんがご自分で調達されていたのを生産者が意図的に作り市場を通じて、欲しい方にほしい時に提供する方法を確立して注目を浴びたこと。その上に椎茸などの生産と販売などを商売ぺ-スにのせた事などによりこの上勝町と言う2,000人あまり過疎の町を豊で、病人が減った福祉の町に変えて行けたようだ。さらに詳しいことにご興味ある方は、各地の公立の図書館には蔵書があるはずですのでお目を通して下さい。私の故郷、高知県では;馬路村の”ゆずを使ったぽん酢醤油”が全国的に有名だが、これも1988年、昭和63年に東京の西武百貨店で開かれて「日本の101村展」で日本一に輝いたのがきっかけだそうだ。尚、その時に2位だったのが上勝町の商品だったそうだ。我家でも全くの必需品であるが、近々20年の歴史だと知って驚いた。地方興し、村おこしの高知県代表ですね。あれやこれや関心を持つくらい四万十町の再生、活性化についても日々祈っている。おそらく故郷を持ち、都会で暮らしておられる方々は等しく郷里の発展を祈っていることと思います。この本から感じたことは、理屈抜きに人生を掛けてその土地に見合う産物を見つけ、その産物が消費地で歓迎されるかどうかを見極めて、生産地の人々に情報を提供できる現場主義の人材、しかもリ-ダ-シップを発揮できる人材を見つけることが地方の過疎の村や町に求められていることです。この著者横石知二氏は、ご両親達と同居であり、奥様も働いていて、ご自分の給料を20年近く1銭も家に入れないで(それも相当の安月給だが)、料亭などでも情報取りにいれあげたらしいが、そのくらいの人物が居ないと過疎の村や町では町おこしは成功しないのかもしれない。この上勝町の農協やお百姓さん達が20年近くそんな横石知二氏の生活に全く無頓着であったのも奇跡か?