1月14日(水)この日は志手原の八王子神社の狛犬を撮る事を念頭に置き歩いた。帰りは思いつきで福島大池に立ち寄った。
12月中旬に外科手術を受けた国立兵庫中央病院で、手術後の診察日だったので出かけた。せっかくここまで来たからそのまま歩いて行き、志手原にある八王子神社に参詣して、その狛犬を観てその形状がどのようなものであるか、確かめたかった。途中で出合った昔の道しるべ「左花山院」 とハッキリ読める道しるべ 虫尾にある。道しるべだけ紹介して、今回の主題八王子神社の狛犬から紹介しよう。 向かって右側の狛 犬 阿形狛犬 高さ 80cm 左足下に玉を置く、玉取り獅子(狛犬)の形式 向かって左側の狛犬(子取り獅子の形式)、 吽形狛犬 高さ 80cm 右足を軽く上げている、その足に子犬が立ち上がってすがっている。 共に明治39年(1906年)に置かれた。この年、夏目漱石が「坊ちゃん」を発表(年表より) この子犬の置き方には中国の石獅子の流れが考えられる。三田市内の神社で数例見ら れますが、子犬が足にすがっているスタイル(八王子神社)や胸ふところに抱かれているかに 見える彫り物(鳥取県?)もあります。 いずれにして貴重な例だと感心し、嬉しい気持ちが湧いてきた。 全国の例では、多くの玉取り獅子と子取り獅子は、足下に子犬が抑えられている。 千尋の谷底へ可愛いわが子を泣き泣き?突き落す母親の心情を表現しているという。 中国の獅子 玉取り獅子 今回は割愛させて頂きます 子取り獅子 横浜・長崎の中華街、神戸の南京町などで見られます。 ここの狛犬は、先日来しばしば述べている中国の石の獅子が遠祖だと勝手に思った。志手原の八王子神社に関心を持ってきたのは、ここも 1. ふとん太鼓が例祭の際、見られること。 ふとん太鼓 お借りした情報源 http://www.geocities.jp/manten882/akimaturi.htm 「八王子神社秋の大祭」 5枚重ねのふとん太鼓は1トンかそれ以上もあるし、お祭り時に里の皆さんが集まれない 神社ではお祭りの際、境内に並べて祭りを盛り上げる例もあるようです。 このHPにはふとん太鼓練り歩きの写真が多く見られますので、ご覧ください。 2. この志手原は今の三田市内から北上して数キロ、永沢寺へ行く道と江戸時代は徳川 幕府の手で(大阪府高槻市の)麻田藩の飛び領があった木器・小柿などとのへ通じる道 が分岐しており、遠い大昔からかなりな繁栄と歴史が重なった地域だと思われること。 尚、木器・小柿などは旧有馬郡ではありませんでした。その大部分を知ることは到底かなわないが、賑わいの一端はふとん太鼓などが持ち出される八王子神社の例祭などを通じて感得するのではないか。これが私の感想です。志手原の三叉路から左に回り、永沢寺へ通じる道は、かつてジョギング元気だった時代の練習道路の一つでしたが、志手原から木器・小柿へ向かう三輪―後川線を足で歩くのはまったくの初めて。あるいて数百m、その左の山懐に八王子神社があった。 ひっそりと静まり返った状態だし、ここもその保存にご苦労が多い事がうかがえた。たまたま志手原にあるJA神戸三田のお店でこの神社の事をお伺いして、この神社を尋ねることを述べたので、正式ではないが地元の方へ無人の神社へ第三者がでかけることのご挨拶にはなった・・・と少しはおもった。 ほぼ常在の人のいる三輪神社と対比するのか、この志手原の方々も三輪神社のことをかなり意識しておられる感じだった。話を元の狛犬に戻そう。無人で、狛犬に向かっただけですから、どのような経緯でこの珍しい子犬が立ち上がり、母狛の右足にじゃれついている?形状の狛犬が選ばれたのか、大いに興味を感じた。以上はあくまでの個人の勝手な感想ですが、この狛犬に関する情報の原典は;下記の通り 三田市教育委員会 編集発行 「ふるさと三田 第12集」 三田の狛犬 (上) 平成 3年 発行 三田の狛犬 (下) 平成15年大変な労作で関係の皆様のご苦労は察するにあまりがある感じです。これ以上筆がすべると終わらないので、志手原、八王子神社とその狛犬さんについては一先ず置き、帰りの道を歩きながらコ-スはちょっとずれるが福島大池へ寄って帰ることにした。福島大池 8世紀頃、行基大僧正の手で開削されたと思われる農業用水用の大池 カモ 警戒心の強いシラサギに比べてだいぶのんびりしている感じも出ている。 あるいはシラサギがいるかという思いがあったので立ち寄ったが1羽も居なかった。今日のウオ-キング 歩数 10998歩 約8.5km