三田市・天柏神社の両部鳥居 建立の何故?
三田市・天柏神社の両部鳥居と建立の謎天柏神社のの両部鳥居『両部鳥居』三田市内に54,5社ある神社の中で両部鳥居はこの天柏神社のみであります。この神社のある丘陵と鳥居から羽束川が流れる木器の平野を望む。『鳥居から見た平野』 神社前の道路を降ると平野となり、羽束川が流れている。(1)羽束川の氾濫に備えて、また、水の中にあっても耐えられる形の選択という説 をある資料から得たが、どうだろうか。(2)川の氾濫に耐える鳥居は、島木鳥居系の明神鳥居でもかのうではないか。(3)江戸時代は、この木器あたりは九鬼藩36,000石の領地では無くて、麻田藩の 飛び地領地であった。 また、戦国時代や鎌倉幕府や室町幕府の時代も文化の交流は、関西と直接繋 がっていたかもしれない。何ともユニ-クな両部鳥居が木器にあることの謎にはおおいに興味があります。言葉を変えて申し上げれば、大変貴重な鳥居の1例だといえると思います。三田市内の三つの不思議鳥居:貴重な財産でもありますね。(1)大原の大歳神社の黒木鳥居 クヌギの木肌 全体像 木の材質はクヌギであり、いつからかこの木以外の鳥居は認められていない そうで す。 (2)広野の皇大神社の黒木鳥居 松の原木をそのまま鳥居にした黒木鳥居 厳島の楠木による両部鳥居や大歳神社のくぬぎの黒木鳥居に比べて、取り替 え頻度がかなり高そうですので、歴史的価値を認めてもその手間の面から、 幾分、存続問題の萌芽がありそうです。 材質は松です。 (クヌギでないといけないと伝承され、ずっと続いている例としては、福知山市 の皇大神社などがあり、クヌギの鳥居が伝統になっている例はいくつかありそ うです) 皇大神社の氏子さんも、遠い祖先が何故、松を選んだか、不思議がっておら れました。 (3)3つめが、この天柏神社の両部鳥居です。勿論、54,5社の神社の鳥居それぞれに様々な伝説があることでしょうが、やはり特異さで際立っているように思われます。 ところで、両部鳥居とは:(1) その特徴: 反り増しがある (島木系鳥居の特徴でもある) 島木がある。 (同上) 額束がある 。 (同上) 貫が柱から出ている。 (同上) 柱の前後に稚児柱を持つ。この点が目立ちます。(2)両部鳥居の異名 四脚鳥居 権現鳥居 枠差し鳥居 児持鳥居 稚児(柱)鳥居 宮島鳥居 こんなに様々な名前を持つ鳥居はほかにはないと思います。 以上の(1)(2)項に関しては、ホ-ムペ-ジ「神社参拝記」」を参考にさせてい ただきました。 ご参考に願います。(3)何故この形状の鳥居が両部鳥居と呼ばれるか。 学説的には、真言宗や天台宗などが広めた密教の興隆に伴い、神仏習合が 進み金剛界と胎蔵界という両部思想(両部神道)に元がありそうです。 しかし、庶民がこの鳥居をくぐって参拝に出かけるときに、あっ、「両部鳥居」だ と気が付く根拠は何か、 私には今もってわかりませんが、素晴らしい祖先たちの偉業であると尊敬の 気持ちに変わりはありません。代表的な両部鳥居 厳島の両部鳥居 『鳥居』 ウイキペディアからお借りしました。ご提供者に感謝申し上げます。 樹齢400年の楠木で建設されているようです。 素晴らしい。