中国人と言われること《体験編のオッサン編》
あからさまにからかうというパターンだけではない。ここからが南イタリア人の特性みたいなものが出てくるのだが、彼らは、ほっておけないのだ。異質なものをみると、日本人の場合かかわらないようになるべく無視するところだが、彼らは何か一言言わずにいられないのだ。これは特に中年以降のおじさんに多い。これが「イタリア人はフレンドリー」と言われる大きなポイントだ。ほっておけないというのは、困った人を見てもほっておけないにも通じる。だからイタリア人は親切とも言える。ただ気の効いた一言が言いたいだけなのか、そこから会話の糸口を引き出して外国人とお話がしたいのかというのはまだわからない。私がそういう人に調子を合わせる性格ではないからだ。前述のtabacchiの出来事がいい例だ。なぜ切手を売るだけなのにわざわざ「中国」に言及しなければならないのか。最後の言葉からもわかるようにけして私の国籍を突きとめたいわけではない。ほかにもある。レストランに食べに来たとある粉引き屋の経営者。そのとき初めてだった。私を見るなり"ecco la Cinesina"(「そら、中国小娘だ」・・・みたいな訳?)とのたまった。な、なに?Cinesinaだ?私が大嫌いな言葉吐きやがって!なにがeccoだ。定番キャラのお出ましだみたいに。むかついてショックで顔が引きつったので無言で退散して、相方に愚痴った。後から相方はおっさんのテーブルに行って「アジア人」と「中国人」という言葉の使い分けをみっちり説教していた(笑)次に来たとき、おっさんいきなり切り出した。「日本人は働き者で経済も活発で、いい国民だ」。私「はぁ、経済といえば、次は中国の時代ですよ」「中国人は、ダメダメ」なんて会話をしたので、おっさん中国嫌いなことが判明。典型的レイシストタイプですな。またこの間、朝、家からレストランに向かっていると工事のおっさんが二人いて、そのうち一人と目があったから「なんかやばい」と思ってそ知らぬふりをして通り過ぎた。案の定後ろから"Ma, ? cinese simpatica eh?"(聞こえたまま書いてるけど、文法的にはcineseの前にunaが入るかな)と私に聞こえるようにもう一人に話しかける声が聞こえた。「チネーゼじゃないしー」と聞こえない振りして歩き続けたが、終いには下品な笑い声まで聞こえた。これは「感じのいい中国人じゃないか、おい?」という意味。だから何だ本人に聞こえるように言わなくてもいいじゃないか。会話の発展を期待してたのか?だったらそもそも「中国」と限定している時点で無知丸出しで、アジア人とは仲良くなれないぞ。いや、中国人限定で話しかけたかったのか?というのは空想で、たぶんただ単にからかいたかっただけだろう。ていうか、この2例の一言、たとえGiapponeseに置き換えてもむかつくぞ。どの例も、おっさんというかほぼじいさんの年である。本当に彼らは悪気はないのかもしれないが何か一言言わずに済ませられないのだ。それが礼儀だと思っているのかもしれない。たぶん自分では「気のきいた面白い一言で、話しかける対象の人も周りの人も楽しませている」と思っているのだ。彼らは典型的なタイプであって、「南イタリア」「田舎」「壮年」「無知、無教育」にあてはまる。もちろんその中にも控えめで無口な人も沢山いるが。これを「フレンドリー」ととらえて楽しめればいいが、私にとっては不快なだけなのだ。前回も書いたように明るく対応できる性格ではない。だから、言って置くが、自分から積極的に話せばこういうおっさんはすぐに友達になる。そこが南イタリア人の優れた特性だと思う。私はそんな友達はいらないだけ(排他的なのはどっちだ)。まあイタリア生活っちゅーのは向く性格と向かない性格がありますわな。そしてそれってこういう人たちにどう対応できるかにかかってくる気がする・・・。しかしそれにしてもこういう人たちはもう、人に「中国人」と言うとか、そういうことは超えてひたすら変なのだ。こういう人たちはまともな会話が出来なくて、なんか冗談を言わなければ会話が進まないと感じているらしいが、その冗談がへんてこすぎて理解不能なのである。オチがわからないというか、オチがない!冗談なのかなんなのかわからない。・・・こっちにとって宇宙人は彼らだ。このタイプの人たちは顔にあわられているので、最近では最初から近づかないようにしている。こういう人たちは、夫に言わせると「満足な教育も受けられず育って50年も60年もこんな山でずっと暮らしてる、右も左もわからない人たちなんだから、宇宙人同然だ。だから理解しがたいところがあるのは当然。悪いことはしないんだから、オマイは日本人らしく適当に流して笑ってな。」ということだ。「中国人」話と離れてしまったが・・・。中国と他の極東諸国の違いがはっきりしない人たちに関しても同じこと。加えて「言葉どおり右と左を間違える、道を聞いても正しく教えられないし、地図も読めない、さらに他の国など行ったことのない、あるいは団体ツアーでしか行ったことのないような人たちなんだから、地理がわからなくて当然」ていいようも。たしかに、南イタリアでは地元の人に道を聞いて、言われたとおりに行くとさらに迷うことも少なくないわ。そうそう、中国人に間違われるだけでもイタリア人の失礼さを感じるのだから、「本物」の中国人にとって風当たりはもっと厳しいものだろう。多分もっとひどいことを言われているに違いない。しかし上の例のようにイタリア人は失礼でありながらも友好的だし、自分の経験としてここまでずっと述べてきたことも、差別と言えるものではない。中国人差別がもっと厳しいのは日本だったりして。日本人側からはけしてわからないことだが。