職人探訪 その壱 【大島紬は私の人生そのもの】
当社サイト「奄伽樂(あまから)」でも紹介している「職人探訪」をこちらでもご案内したいと思います。http://www.amakara.jp/syoku/yoshio.html是非励ましのエールをください!---------------------------------------------------------------------------宇崎 良三(うざき りょうぞう)71歳締機歴45年 締機技術保持者昭和7年12月生 笠利町屋仁出身昭和30年初から「締機(しめばた)」工程に従事し、昭和35年に独立。45年余り締機職人として現在も活躍している ---------------------------------------------------------------------------締機に関しては、45年経った今でも一人前とは思っていません。でも、自分のする仕事には“自身と誇り”を持ってやっています。仕事(締機工程)に対しては、昭和30年の初めて締機の作業を行った時に“慎重に真心込めて行う事”を肝に銘じ、その初心を忘れずに現在も続けています。締機は締め(機をたたくようにして織り込んでいく作業)の強弱の違いや、生地を数ミリの誤差でもおこしてしまうと、染めムラが出たり、絣の柄が合わなかったりと非常に複雑で繊細な作業です。そのため、その日の天候や温度、湿気、風向きまでにも気を配り、数ミリ単位でも誤差を出さないようにする必要がある気の遠くなるような作業の繰り返しです。45年間続けてきた今日でも、準備段階から非常に気を使い、後工程(締機の次は泥染め)の方が作業しやすいように、生地の地肌の事も考えて、なるべく固く仕上がるようにも心掛けています。固く強く締めると、その後の工程である泥染め工程の際に生糸に付着している糊落としを思い切って行っても生糸に色が浸透しない効果があり、泥染め職人は作業がし易くなるからです。ここまで来るのには長い年月を掛けてきましたし、苦い経験もありました。図案通りにあがらなかったものや、締めが少しでもずれてしまい製品化にならない場合は賃金も頂けないのは勿論、損害金が発生する場合もあり、数百万円の損金を出した事もありました。しかし、この経験がなければ一人前の締者にはなれないと思ってますし、この経験があってこそ、現在の私があるという事は自身を持って言えます。何事も努力と経験、挫折の積み重ね。これをなくして、なまけていてはいいものは決して出来ません。大島紬は奄美の誇りであり、父からも受け継いだ私の財産そのものです。まだまだボケる歳でもないですし、倒れるまで現役を続けていきます。今後の若い後継者たちの活躍と大島紬の発展を心より祈ってます。2004(平成16)年5月1日 宇崎 良三談【編集後記】宇崎さんのご自宅兼仕事場にお邪魔した。白髪で細身の宇崎さんの外見は、「芸術家」である。詩吟8段、書道、水墨画(宇崎龍石の名で活動)、写真と趣味も多種に渡り、書道は小・中・高学生らの師でもある。ご自身も水墨画を含め各種選考会などで入選を果していらっしゃる腕前。「書や画は感受性を研ぎ澄まし、精神集中がとても大事でこの部分は締機へも関連する事」「“書は人作る” 子供たちには日頃から口酸っぱくこの事を言っていますよ」そう語った宇崎さんはまさに『芸』を極めた職人だ。宇崎さんが締機を始められた昭和30年代、同じ年頃の人たちは当時2万円の自転車を買うことが一つのステータスでもあり、仕事で稼いだお金で皆、自転車を買っていたらしいが、宇崎さんは、貯めた同じ2万円を使い、自ら山に入り木を切り、牛を引き、締機を作られたそうだ。それだけ大島紬と締機という仕事に魅了を感じていらしたのであろう。手作りの締機は45年経った今でも、宇崎さんの技を支えている。黒ずんだ筬(バッタン-手持ち)部分は、長年織続けてきた宇崎さんの宝物であると同時に、大島紬を支えてきた奄美の人々の“魂と誇り”そのものだ。1,300年という大島紬の歴史の重さをあらためて痛感した。 文責:岸田聡司