京の桜だより その10 インクライン
疎水が金色に染まりはじめました東京に帰る時刻が近づいていますせっかくですから 疎水の桜をながめながらインクラインを散策し地下鉄東西線の蹴上(けあげ)駅から京都駅にむかうことにしましょうインクライン 「傾斜鉄道」という意味です江戸時代も終わりの頃琵琶湖から京都に運河を開削して船を通せないかそんな壮大な夢を描いた人たちがいましたさすがに実現には至りませんでしたがその夢は 明治18年(1885)京都府知事の北垣国道に受け継がれます北垣は 東京遷都によって意気消沈していた京都復興の起爆剤にしようと大学を出たばかりの田邉朔郎を土木技師に抜擢して琵琶湖疎水の実現をめざしますそれは 大津市三保ヶ崎を起点に長等山トンネル(2436メートル)を通って山科に抜けさらに2つのトンネルを通って蹴上に抜けて落差36.4メートルの坂道を流れ落ち最後は鴨川に合流するという壮大な計画でしたはじめは舟運と農業用水の確保が目的でしたがそこに蹴上と南禅寺側との落差を利用した水力発電の建設計画が加わりますこうして蹴上に日本最初の水力発電所が完成しその電力を利用して日本で最初の路面電車も走り始めましたところが問題がひとつ浮上します蹴上から南禅寺側までは落差があるためそのまま船を通すことができませんさらに京都側から琵琶湖に向かう荷船は流れを逆らって坂を登らなければなりませんそこで疎水とは別に4本の線路を敷設し荷物を載せた船を台車に乗せて 上下させることにしましたこうして明治22年(1889)長さ581.8メートルのインクラインが完成しますインクライン(傾斜鉄道)はケーブルカーだったのです荷船を載せる台車(復元)と台車を動かす滑車(後方)ワイヤーロープの巻き上げは新たに完成した日本で最初の事業用発電所蹴上水力発電所の電力が使われましたこうして南禅寺側の船溜に到着した船は旅客や貨物をのせ替えることなく鴨川へとむかいましたもちろん鴨川から琵琶湖への水運としても利用されました片道の所要時間は10分から15分だったそうですその後 インクラインは昭和のはじめまで運行されましたインクラインの仕組みや琵琶湖疎水に関しては南禅寺の近くにある琵琶湖疎水記念館で学ぶことができます先日紹介した 哲学の道の脇を流れる疎水もこの疎水の分線です京都というと古都のイメージが強いのですが近代遺産も多い都市なのです梅小路蒸気機関車館も京都にあり機関車ファンは見逃せませんインクラインの跡地は 昭和51年に整備され国の史跡として いまは市民の散策路になっています桜吹雪のころに歩いたらさぞや美しいことでしょう落ち葉の季節もお奨めです4月7日 撮影10回にわけて紹介してきた京の桜だよりこのところ仕事が忙しく 更新が遅れてしまいましたが古都の春 お楽しみいただけましたか