瀬戸内紀行2007 その3
横須賀とともに海軍の重要拠点(鎮守府)として栄えた呉いまも街なかに戦争遺跡が残りますそのひとつが入船山(いりふねやま)にある呉海軍鎮守府司令長官の官舎もともとは亀山神社の境内だったそうですが1889年(明治22)に社殿を移して軍政会議所を建て3年後の1892年(明治25)から司令長官の官舎として利用されたそうですまこべえ隊の目的は敷地内に残る中世の石塔の調査でしたが記念館の館長さんが長官邸を案内してくださいました(議会でお忙しいなかありがとうございました)現在の官舎は明治38年(1905)に建てられた2代目イギリスの洋館を思わせる作りですイギリス海軍をモデルに発展した日本海軍の形がこんなところにもあらわれていますね建物の奥は日本家屋となつておりこちらは司令長官のご家族のお住まいとして使われたとのことでした1945年(昭和20)の敗戦を期して占領軍に接収され内部の壁を白ペンキで塗られてしまいましたが1995年に建設当初の姿に復元され現在は重要文化財に指定されています洋館内のステンドグラスも当時のままだそうです 照明器具もなかなかステキですカーテンのかげにある当時のスイッチも見せていただきましたすごい形のスイッチですね 照明器具の取り付け位置にあるレリーフもレトロな感じでステキです ドアノブも陶器製時代を感じますねちなみに便器は進駐軍が取り付けた洋式トイレ当時のままだそうです(トイレは非公開です) 籐の椅子司令長官もくつろいだのかな足が蹄の形をしていますこんな応接間でお客さまをもてなしたいなこんな部屋で食事をしたらお料理も一段と美味しいだろうなこんな書斎で仕事をしたらはかどるだろうなところで応接室や食堂などの壁の装飾に気がつかれましたかこれは「金唐紙(きんからかみ)」とよばれる壁だそうです和紙に金属箔を貼り花などのデザインを施したらプレスし塗料とワニスなどで彩色して仕上げたものだそうです明治時代に流行した様式だそうですが現存する建物はごくわずかこの建物の壁も占領軍が白ペンキをぬってしまいましたがそのペンキをはがすと当時の壁が出現したそうです現在の壁は新たに金唐紙を製造して復元したものですが美しい金唐紙の壁を見ることができる貴重な建物ですねまこべえもこんな洋館に住んでみたいものです建物つながりでもう一軒こんどは大崎上島(おおさきかみしま)に残る豪商の建物です幕末から明治にかけて海運と塩田で栄えた望月家の大邸宅です母屋だけで176坪太い柱や梁が特徴です明治8年の建造です大崎上島から本陣のある竹原に戻りますフェリーが港を出たら海が輝きはじめました「瀬戸の花嫁」もこんな風景をながめながらお嫁に行ったのかなフェリーをおりてみあげた空はオレンジ色に染まっていました竹原港にて ここをクリックすると画面いっぱいに写真が拡大します島々がシルエットでうかびあがる瀬戸内海の夕陽は日本一ではないでしょうか瀬戸内紀行2007最後は帰りの新幹線で食べた岡山駅の駅弁祭り寿司そして岡山駅といえばこの看板ちゃんと校章までつけています!昨年より少し色が褪せたのが気になりますが大学の看板のなかでインパクトはナンバー1!瀬戸内紀行2007つぎの出陣は来春です