5月の海に会いたくて 後編
このところ激務が続いたため「5月の海」どころか「7月の海」になってしまいました遅まきながら後編のお届けですまずは観音崎に建つ案内板を使ってまこべえお薦めの散歩コースを紹介しましょうスタート地点は案内板の真ん中やや上海岸近くにあるパーキング観音崎のバス停もここにあります(レストハウスは営業していません)ここから海沿いの遊歩道を歩いて案内板の右方向に進みます途中 右手の坂をのぼれば先日紹介した観音埼の灯台です灯台に立ち寄ったらふたたび海をながめながらお散歩ですしばらく歩くと岩盤をくりぬいたトンネルがみえてきますここを抜けるとビジターセンターや自然博物館がある広場に到着しますここからは海岸を離れて山にはいり海の見晴台や戦没船員の碑そして花の広場を経由して道なりに進めばG.W.にオープンしたばかりの横須賀美術館の裏手におりてきますここまでランチを含めて半日コースとても気持ちのよい休日がすごせますまこべえ姫撮影それでは今からこのコースに沿って歩いてみましょう(^^)その前にまずは海を見ながらランチですまこべえのお気に入りはビジターセンターの隣りにあるレストラン「マテリア」(といってもこのあたりレストランはここにしかありません)きょうのランチはイカとブロッコリーのシーフード・パスタアイスコーヒーもおいしい季節になりましたお腹がいっぱいになったら海に降りてみましょう潮風がとても気持ち良く海をみつめて休日をすごすにはお薦めでの場所です(もっとも真夏は暑いかな)海の透明度も抜群です自然博物館の前に広がるたたら浜は東京近郊とは思えない美しいエメラルド色これからは海水浴客でにぎわうことでしょうたたら浜からは海とわかれて山へと向かいます道路をへだてた山側の広い芝生にはいり右手奥の階段をのぼりますマムシに注意の看板もあるので心配なかたはひとつ手前の噴水広場の脇を通る舗装された坂を歩くとよいでしょうどちらの道もこのさきで合流します合流した先を右にまがれば海の見晴台(第3砲台跡)左に向かえば戦没船員の碑がある広場(大浦砲塁跡)に出ます戦没船員の碑はアジア太平洋戦争で亡くなられた6万余人の戦没船員を慰霊するために建てられました昭和16年12月8日日中戦争に行き詰まった日本は南方の石油資源などを求めて対米英蘭戦争に踏み切りますしかし戦時経済の大動脈であった南方と日本本土をむすぶ海上輸送路の護衛に対する海軍の認識はとても貧弱なものでした開戦時に輸送船の護衛を任務とする海防艦がたった4隻(占守型)しかなくしかも当初は北方警備用として建造されたため潜水艦に対する哨戒・攻撃能力も不十分なものでした海軍はアメリカの潜水艦をなめていたのですその海軍が海上護衛戦の重要性を認識して海上護衛総司令部を設置するのは敗色も濃くなった昭和18年11月になってからでしたその結果世界第3位の海運国であった日本の輸送船はつぎつぎに敵の潜水艦に撃沈されて壊滅しますそのなかで多くの船員が亡くなりましたしかも戦没船員の63%は20歳未満の若者でした戦争で死ぬのはいつも若者なのです小型なら核爆弾だって持てると発言する永田町の「お坊ちゃま」は日本を戦争のできる国にかえたくてたまらないようですが輸送船が護衛艦に守られて進むような時代がふたたび来ないよう永田町の動向にはいつも目を光らせていなければなりません戦没船員の碑から少し歩くと目の前が大きく広がります新たに整備された花の広場です近くの住宅地がなければどこかな高原に遊びにきたようなのどかさですまこべえ姫撮影花の広場から横須賀美術館までは明治から昭和初期まで使われた砲台の跡や弾薬庫などの戦争遺跡が点在します三軒家砲台跡ですここには27センチのカノン砲が設置されていました砲台跡をくだれば横須賀美術館に到着です美術館の屋上からふたたび海が楽しめますこの美術館に併設されているイタリアンレストランACQUAMARE(アクアマーレ)はいま人気のスポットただランチが2800円もします!この場所で この値段少し高すぎるような気がしますがやっていけるのかなその前に広がる海は抜群の透明度まこべえ姫撮影美術館の前に建つ観音崎京急ホテル周辺もウッドデッキにすわってのんびりとすごせます海と山 そしてお花まで楽しめる観音崎美しい海に会いたくなったらぜひ一度あそびにいらしてください