「英語ありき」を危ぶむ - 英語ありきの国の先駆者、韓国が見る日本の教育
昨日の東京は、20度で春一番教室に入るとアメリカ人講師が、今日は、暖かくていい天気ね。と声をかけてきたが花粉症の私には、 nice ではありませんでした(涙)昨日、インターナショナルスクールについての日記(mixi)を書いてる時に言葉の意味を確かめようとネットで検索をかけたらおもしろい記事にあたったので紹介したいと思う。2008年、ノーベル物理学賞を小林名誉教授、益川名誉教授と南部名誉教授が受賞した時に韓国で書かれた日本人がノーベル賞を取れるのは自国語で深く思考できるから我が国も英語ではなく韓国語で科学教育を行うべきという記事だ。日本は1949年に湯川秀樹が物理学賞で初のノーベル賞を受賞して以来、物理学賞受賞者だけで7人になる。今年も受賞者をまた輩出した化学賞に医学生理学賞を加えれば受賞者は13人になり、この分野の国家別順位でも世界7位だ。 日本の物理学賞受賞者たちは専ら日本で大学を終えたが、特に今回の受賞者3人はいずれも最終学位まで日本で終えた。80代の南部教授は1952年にプリンストン大招聘を契機にアメリカに定着したものの東京大学で勉強したし、60代の小林・益川教授は名古屋大で博士課程まで終えた。今回の受賞対象となった「小林・益川理論」自体、2人が大学院生と研究員として出会った名古屋大で誕生した。 日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。基礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小学校のときに理科の時間に感じた興味が彼を科学者に導いたという。基本概念はどうすればきちんと身につくか。理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはずだ。 日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。 この記事の筆者は、外国語が苦手といわれる日本人が基礎科学分野でノーベル賞を多く取ったり益川と小林の研究が日本の大学から誕生したのは日本が母語である日本語で教育しているからだとしそれに対して自国である韓国は、一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。名門大学であればあるほど、理学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して教えているわけだ。 教授たちは、基礎科学分野の名著がまともに翻訳されていないからだと言うが、このように原書で教えていては翻訳する意味がなくなる。韓国語なら10冊読めるであろう専攻書籍を、1冊把握することも手に負えないから、基本の面で韓国の大学生たちが日本の大学生たちより遅れるのは当然だ。大学を出ても学んだものが無いという現象も、ここから生じているのだ。 大学の基礎科学教育を世界的な水準へ高めるために外国の碩学たちを連れてくるのに国はお金を惜しまないという。ちょっと聞くと素晴らしいことだ。ところが、果たして全国の小学校と中学・高校で科学の実験は思う存分できるか。初等・中等過程と大学過程で科学を正しく理解する基礎は用意されているか。世界的な水準で思考するということは、英語で思考するということではなくて世界で一番深く思考するということだが、それを実践する土台は用意されているか。と、まとめている。日本の良さ、力を一番認めていないのは日本人なのではないだろうか?自分のidentityを自ら否定するそれはとても恐いことであり、悲しいことだ。To be international, be national国際人になるなら、まず日本人たれ40年間、常に自分は理想の国際人であるかを念頭に置いて外交官として働いた方があげた、国際人としての条件である。*mixi夢グリコ関連日記です。