元気に歩いていけたかな・・・・
毎日、トリトン(再度改名:おっきいにゃんこさん名づけ♪)の部活と宿題に付き合ってるうちに合間にみ~の相手をして、書きたいけど書く気力がなかった・・・・うちに、こんなことが起こってしまいました 母方のおばあちゃんがなくなりました。末っ子の私の母には、若いときにはさんざん頼り、私たちが育ってからは、なかなか見舞いにもいけないことがつらかったらしい。おばあちゃんも、末っ子だから、かわいかったでしょう。ずっと入退院を繰り返していたけど、老衰です。94歳で、もうすぐ95歳だったのに・・・・。去年、2005年2月25日の日記に書いたおばあちゃんです。入院して一ヶ月たって、歩くリハビリを始めたおばあちゃん、「がんばりんね」という私に、「おじいさんがあの世でまっとるでなあ。 元気に歩いて、あの世へ行かにゃならんで」 と、新しい上靴を手に、元気にしゃべったおばあちゃん・・・・去年の夏から、自分のことが精一杯で、1度も顔を見にいけなかった。ちょうど昨日、様子が悪いからと、母が見舞いに行って、「もうあまり話もしない」とか妹が行ったときは、「でも、ゆっくりだけど、ご飯もりもり食べとったよ」と聞いて、食べれるなら大丈夫かね、なんていってたところだった。12時過ぎに電話があって、たまたま実家に泊まった私はそれを聞いたのだけど、両親が出るだろうと、そのまま寝てしまった。そのあと、夜中に母に起こされ、「亡くなったで、行ってくる」と言われ・・・さっきの電話に出なかったことを後悔した。でも、おばたちも間に合わなかったらしい。まだ詳しくは分からないけれど。こんなときだけど、私はすぐに驚いたり泣けないのです。だから、たぶん、うつになるのです。朝起きても、頭には大きくそのことが占めているのだけど、子どもには何事もなく、話す自分。表情を変えない自分。朝ごはんを食べて、また眠くなって、寝ようとして気がつきました。まだ、感情を殺してるじゃないの?どうして泣いたり動揺したりできないんだろう。私は、ショックが大きいと、真っ白になってしまう人のようです。今まで、そんな自分のことを冷たい人間か、人間不信のせいかと思っていたけど、どうやらじわじわと効いてくるタイプのようです。やばい、と思って、頓服を飲んで寝ました。子どもたちにはまだ言いたくなかったけど、父が話してしまったらしく、「まさか、おばあちゃんが入院したとか?」というトリトンに、「死んだんだよ」と何事もないように口を挟むみ~。「それは、ひどすぎるだろ~。そういうこというなよ」と、まさかのトリトンは妹をたしなめたのですが。仕方がないので、私から話しました。「だから、今日の夕方から行くからね」というまでの間に、言葉が詰まって、涙が出て、変な話、ああ、やっと泣けた、と私は思ったのでした。よかった、とさえ。トリトンは今、人の声も聞こえずにゲームに熱中しています。ゲームと読書が、彼が自分を落ち着かせるための、必須アイテムのようなので、やらせておきます。真夜中に、苦しんだ様子もなく、たぶん看護士さんにも気づかれないまま静かに逝ったおばあちゃん。人に迷惑をかけるのを気にしていたおばあちゃんは、満足しているかもしれない。おじいちゃんのとこへ、元気に歩いていけたでしょうか。60年ぶりの再会だよ、おばあちゃん。おじいちゃんはいい男だったんだよね。おじいちゃんは戦死で、一人で娘4人を育ててきたおばあちゃん。孫は12人。ひ孫は・・・・・わからん(T_T)きっとほめてくれるよ。生きてるうちに、言葉をかけられなかったのが残念です。でも、私、おばあちゃんに心配かけないように元気になりたいと思います。「すげーぞトリトン」を書きたいのですが、また後日・・・・