大河ドラマ「義経」とは・・・・・
ちょっと前から思っていたのですが、このドラマの義経は主人公でなく 、平家の時代から鎌倉幕府確立までの「狂言回し」ではないのかと。【狂言回し(―マハシ)】〔「回し」は展開の意〕 〔歌舞伎(カブキ)などで〕登場人物のうち、場面での しぐさや台詞(セリフ)が、その後の筋を△スムース(ドラマチック)に展開するのに役立つ働きをしている役。彼が物語の中心であることは悲しいくらい少なかった。その分、平家方や鎌倉や院の人々の思いと葛藤が細かく描かれていた。義経という人は、周囲の人を描くには、非常に重要な役回りだったけれど、ドラマの主役ではなかったと、最終回を見てやっぱり思いました。だって、死のときですら、義経様より郎党たちのがドラマチックだったよ・・・・(-人-)合掌私は、実在の人物としての源義経は、確かにその通りだったと思います。彼は、公家社会から武家社会に時代が移るとき、摂関政治から脱皮できなかった平家を滅ぼし、公家中心ではなく武士を中心とした世をつくるために大きな役割を果たした。時間も功績もわずか(数は)だったけれど、彼がいなくては時代が変わるのはもっと遅れていた、あるいはもっと違う形だった、と私は考えています。守護、地頭の全国配置は頼朝が義経追討を名目に許可をもらい、その子孫の守護大名たちが戦国時代に活躍するのですから。(・・・・という説もある。)だから義経はその後の歴史、ひいては現代までに多大な影響を与えている人なのです。だから、その見方をするならば、このドラマはそれでいいのかもしれない。でも、タイトルも主役も「義経」ですから・・・・そういう期待をしていましたから・・・・毎回、怒れたり、嘆いたり、あきれたりしてきましたけど、そういうドラマだったことにします・・・・最終回で、もう何も言うことも、期待することもない・・・・・ただね、仁王立ちの弁慶がなぎなたで体に刺さった矢を折るところとか、ところどころ、「武蔵坊弁慶」に似た演技があったから、気になってしまいました。それと、どうせその後を描くなら、藤原氏の滅亡よりもこれから政子がどうしていくのかが見たかったなあ。このドラマの政子は「武蔵坊」より私のイメージにあっているので、「踊る大捜査線シリーズ」みたいに、「尼将軍・北条政子」やってくれないかなあ。頼家を幽閉し、実朝の死後、北条家の基盤を固めた政子、このドラマの政子はいい感じでいけそうです。大河ドラマが中心にあった(振り回された?)1年は終わりました。でも、私はますます義経という人を知りたくなりましたし、新しい見方にも気づかせてもらえたので、まあよいことにしましょう。できれば近いうちに、また腰越か鞍馬に行って、ご冥福をお祈りしたいものです。(冬の鞍馬は無理かなあ)タッキーの演技はかなりよくなったと思います。演技力のある人に演じてほしかったのは、私のワガママなのでしょう(T_T)ああ、一言で書くつもりだったのに、また長くなってしまった・・・・反省。