魂のいろ
学生時代に同じ家に家庭教師として通っていた友人の、さらに友人に当たる知人が家族のことを書いた著作を上梓されたのが、3年ほど前のこと。偶然にその著書のことを知ったのが、2年前。 すぐに取り寄せたものの、手違いで手元に届かず…ということが2度続き、3度目の正直は去る3月の里帰りに合わせて日本の実家宛でオンラインで購入しました。その里帰りすらも、震災で延期、妹が送ってくれた荷物がやっと届き…ということで2年の時を掛けてやっと手にすることができました。 この知人とも過去に行き違い(すれ違い?)があり、この本を手に入れるまでのいきさつも過去の行き違いを思わせるものがありました。 残念ながら、さほどの縁があったわけではないのですが、強烈な印象が残っています。 著者ご本人とは20年以上も前の学生時代に会ったのが最後です。詳しく書いてわざわざ誤解を招くようなことをするのも申し訳ないので、その頃のことは語らずにおきます。 不思議なものです。 まったく違う場所に生まれ、ほんの一時期知人であった人が、またまったく別の道を進んで出会うこともなく、でも、魂の色は昔のままなのを読み取ってなんだか安心している自分がいます。 もっともっと語りあうことができればよかったのに、人と語り合うよりもただ飲み歩くのが優先で、時間を浪費していた若いころ。バカなことばかりしていた学生時代の私に、今考えれば一つの真実もなかったけれど、それでもあのときを経なければ今の自分はいなかったわけです。 学生時代の自分と今の自分と「どちらが素の自分か?」というと、今の自分。今現在の私が子供時代、中学や高校の時分にまっすぐに物事を見ようとしていたのと同じ、カッコ悪くも一生懸命な自分です。 学生時代に自分が何者かわかっていて、同じく気取っていた仲間たちも素のままの彼ら(彼女ら)だったなら、もっともっと違う時代になっていたのかもしれません。あれはあれでよかったのだけれど。 あの頃に戻りたいとも、やり直したいとも思わないけれど、あの頃の私たち、私たちの世代の皆みんなが愛おしく思えます。 著書の中に書き込まれた情景も同世代としては懐かしい昭和の風景で、また現在の様子も、学生時代のあの街のあの風景を背景に目に浮かぶようでした。 知人が著作の中でしたように私も私自身の半生を振り返ってみると、とても恵まれて、とても幸せだったのだと思います。いつでもその時々に自分が一番したいことを、成り行きに胸をドキドキさせながらしてきて、そして欲しかったものは何もかもを手に入れたように思います。 もちろん、手に入れたけれども、こぼれるように手の中から逃げていったものもあるのですが、良くても悪くても自分に満足できるというのは幸せなことです。 知人も、彼の親友であり出会うきっかけを作ってくれた別の友人も、同じ大学の仲間ではなかったので同窓会で会うこともなく、故郷からも遠い街に住む人たちです、街で偶然再会ということもありません。 もう2度と会うことはありませんが、昔の知人なのに、今また、新しい人として知った気がします。