真珠湾攻撃
産経ニュースに以下の記事が掲載された。(別段スクープ記事ではない。)2018.8.29 13:08更新 「真珠湾攻撃忘れないぞ」トランプ米大統領、安倍首相に圧力 米紙ワシントン・ポスト電子版は28日、トランプ大統領が6月にホワイトハウスで安倍晋三首相と会談した際「(第2次大戦の)真珠湾攻撃を忘れないぞ」と前置きした上で、難航している通商問題の協議を始めたと伝えた。異例の発言の背景には、対日貿易赤字の削減を目指し圧力を強める狙いがありそうだ。 米国では真珠湾攻撃は「卑劣なだまし討ち」との見方が強い。日本側の弱みと見なしてトランプ氏が通商交渉で譲歩を引き出すために、あえて日米首脳会談で触れた可能性がある。 同紙によると、トランプ氏は真珠湾攻撃に言及した後、米国の対日貿易赤字について激しく非難し、安倍氏に対し牛肉や自動車の対日輸出で米国に有利になるような2国間貿易協定の交渉に応じるよう促した。 これに対し安倍氏は、トランプ氏の発言が終わるのを待った上で反論。日本政府当局者は「首相は大統領の主張を断定的に否定すれば、プライドを傷つけてしまうと分かっている」と説明した。(共同)以上産経ニュースより引用この記事には、三つの問題がある。問題の一つ目は「首脳会談」の際に語られたことが、容易に外に漏れてしまう。ということである。これはトランプ大統領の特色でもあるのだが、「通常の首脳外交」では考えられないことである。(首脳会談後に、両国の擦り合わせで、出される公式コメントがすべてであるはずなのである。このようにその後にリークされるような状況では、トランプ大統領とは腹を割って話せない、ことになる。だけではなく、両国外務省職員の努力をフイにしてしまいかねない。)今回の記事のネタ元「ワシントンポスト紙が、ホワイトハウスに仕掛けた盗聴器から情報を入手した、ものではなく、この会談に出席した人物のリークであることは明らかである。)問題の二つ目は「真珠湾攻撃に対する米国民の不安」と「経済交渉」は本来、別次元の話である。このような別次元の話で「経済交渉」を有利に運ぼうというのは悪手である。トランプ大統領は「安全保障」と「経済」をディール(取引)の対象とすることが多くみられる、NATO首脳会議でもそうであった。勿論、「安全保障」分野で、米国の貢献度をちらつかせ、それを引き揚げるかのように言及することによって、相手の譲歩を引き出すという手法がこれまでとられなかった。ということはないが。。。トランプ大統領は、その例が多すぎる、)「沖縄返還交渉」が「繊維交渉」とリンクされていたといわれているが、まあ事実そうなのであろう。だが、わが国で言われている「密約」とは別物である。「密約」(返還後、沖縄に核を持ち込むかどうかの問題)は米国にとって「議会対策上何らかの保障は必要とされる」という理由からだと思われる。問題の三つ目は「真珠湾攻撃」に対する、米国人の認識である。これはトランプ大統領に限ったことではなく、真珠湾攻撃は「騙し打ち」であると信じている方が多い。ということである。「最後通牒手交の遅れ」この事実の一面から「騙し打ち」「スネークアタック」と大統領演説もあり、信じられている。山本五十六連合艦隊司令長官は、「真珠湾攻撃」の成功が明らかとなった後でも、「最後通牒の手交時間」を気にしていた。山本長官にとって「真珠湾攻撃」とは敵の戦意を阻喪させる目的があった。(それによって、早期の和平を望んでいたとされる。手交が遅れた場合には、まったくその逆であり、彼らの敵意を沸騰させるものとなってしまう。)当時の事実関係から見て、これは政府が意図したものではなく、外務省。米国大使館の不手際以外の何物でもない。(にも関わらず、その後の外務省が、その反省に立って、人事を変えることはしなかった。これは「大日本帝国海軍」が「ミッドウェイ海戦」の敗北にも関わらずに、人事を変更しなかったのと同じ構図である。「海軍」を非難するならば、当然「外務省」も批判しなければならない。はずであろう。)この不手際は、我が国において、極めて深刻なものであり、真珠湾攻撃に暗い影を差すだけではなく「リメンバー・パールハーバー」(リメンバー・パネーの焼き直しなのだが)結果として、米国の戦意高揚に利用、原爆投下の理由にすらされることになる。(勿論、当初の予定通りに攻撃の三十分前に首肯されたとして、山本長官が意図したように、米国民の戦意阻喪に結び付いたかどうかは定かではない。そううまくはいかなかったように思われる。)「事実の一面」ここだけから見えてくるものが、一番比呂を騙しやすい。「完全な嘘」というものは、一つでも「嘘」であることがばれてしまうと、すべてが水泡に帰すことになるが、一面の真実。これがあると人は騙されやすくなるのである。だが「真実」として1.当時の米国は、通常考えられる「中立国」の立場にあったのか?2.米国は、眠っていたのか?この二点の考察を加えると、「騙し打ち」として非難されるだけのものでもなくなってくる。まず、一点目は、「パル判決文」に書かれているように、米国は当時日本が戦っていたシナ事変(実質上戦争)の敵国であるシナに軍事顧問団を送り込み、兵器を投入している。そう、すでに米国は日本との戦争に突入していたのである。従って、「最後通牒」の問題は、それほど決定的な重要性は持たない。という意見がある、ということである。二点目、これは少なからぬ方々がご存じの事実だと思うが、我が国の少なくとも「外務省の暗号」は完全に米国によって解読されており、我が国が、米抗大使宛に打電した「最後通牒」もすでに解読されており、解読文を読んだ人からは「これは戦争を意味する」との言葉が発せられている。明らかに、米国は、大使館員の不手際・失態の前、つまりは真珠湾攻撃以前に暗号解読されたものをリストに挙がった方々は読んでいたことになる。(当然その中にハル長官も入っている。ここで太平洋軍のハワイがリストに載っていなかったことは、今でも、多くの疑問を投げかけている。)そう米国は、眠ってなどいなかったのである。不戦条約に「最後通牒の手交」が明記されているが、これは、また「自衛戦争」を犯罪とはしない。そして英国などが主張するように「自衛戦争」か否かは、その国が判断する。ということである。極東国際軍事裁判であたかも不戦条約は「戦争自体を犯罪行為」と定めたもの、であるカのように扱っているが、そのような認識は当時はない。現状「連合国(国連)規約」は戦争を犯罪としているように読めるが、連合国(国連)が創設されるのは、いつであったのか>いわゆる枢軸国をも含めての「国際法」となっていたのか?と言えば。答えは「NO」と言わざるを得ない。我が国は、「大東亜戦争」を自存自衛のための戦争と位置づけたのは「違法」ではない。だから、「国際法」として「戦争を始めたこと」を裁かれる、いや裁く権利は、連合国にはないのである。米国をはじめとする連合国は「私刑」をする権利がなかったことは、昨日の日独の負け方の違いで説明させていただいた。「ポツダム宣言」は双方に守る義務があるのである。万一、「戦争で負けたら、何をされてもいたしかたない」などという古代のような野蛮なものであったとしたなら、誰が戦争をやめると言い出すだろうか???米国などは、極東国際軍事裁判で、「時代の針を古代まで戻した」と言っもよいだろう、ならば、「ヴェトナム戦争」で敗れた米国指導者は「犯罪者」として裁かれたのか?そうではない。「勝利した場合には適用するが、自らが敗戦した場合には適用しない」これは、身勝手なもので、少なからぬ国が行うものであるが、そのようなものは「国際法」で確定されたものではない。私は、ヴェトナム戦争によって、米国は「極東国際軍事裁判」を否定した。と看做している。(野蛮から理性へと再び時計の針を進めたものと思う。)「極東国際軍事裁判」なる「私刑」あるいは茶番が「戦争抑止」には全く効果がなかったことは、その後「戦勝国」の英国・米国・仏国・ソ連(ロシア)・シナ自身が「戦争」していることから明らかである。「戦争抑止効果」があったものであれば、我々も、まあそのきっかけを作ったとして、法的には「遡及しない」という罪低定法定主義びは反しているものの、認めることをやぶさかではないが、そうではない以上やはり、「極東国際軍事裁判」なるものは法の仮面をかぶった「私刑」であり、野蛮へと府を進めたものと断じざるを得ない。ここで、またか、と思われる方もおられようが、マッカーサーの議会章7元なるものを紹介しておく。これは、保守派の多くの方々が、マッカーサー自身が大東亜戦争は、日本の自衛戦争である。と証言したものとして多く引用している。Senator Hicknlooper. Question No.5: Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?(ヒックンルーパー上院議員・第5質問:赤化中国に対する海空封鎖というあなたの提案は、アメリカが太平洋において日本に勝利したのと同じ戦略ではありませんか?)•General MacArthur. Yes, sir. In the Pacific we by-passed them. We closed in.・・・There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security.The raw materials -- those countries which furnished raw materials for their manufacture -- such countries as Malaya, Indonesia, the Philippines, and so on -- they, with the advantage of preparedness and surprise, seized all those bases, and their general strategic concept was to hold those outlying bastions, the islands of the Pacific, so that we would bleed ourselves white in trying to reconquer them, and that the losses would be so tremendous that we would ultimately acquiesce in a treaty which would allow them to control the basic products of the places they had captured.In meeting that, we evolved an entirely new strategy. They held certain bastion points, and what we did was to evade those points, and go around them.We came in behind them, and we crept up and crept up, and crept up, always approaching the lanes of communication which led from those countries, conquered countries, to Japan.(マッカーサー将軍:はい。太平洋において、我々は、彼らを回避して、これを包囲しました。(中略)・・・日本は産品がほとんど何もありません、蚕を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主としてセキュリティーによるものでした。原材料、すなわち、日本の製造業に必要な原材料、これを提供する国々である、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と奇襲の優位により日本が占領していました。日本の一般的な戦略方針は、太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、我々がその全てを奪い返すには多大の損失が生じると思わせることによって、日本が占領地から原材料を確保することを我々に黙認させる、というものでした。これに対して、我々は全く新規の戦略を編み出しました。日本軍がある陣地を保持していても、我々はこれを飛び越していきました。我々は日本軍の背後へと忍び寄り、忍び寄り、忍び寄り、常に日本とそれらの国々、占領地を結ぶ補給線に接近しました。)私は、このセキュリティーを「安全保障」と約7すべきなのかどうか?わからない。よってあえてセキュリティーと原文のまま掲載する。ここで少なからぬ方は、誤解されていると思う。(現在と比較するからなのだが)我が国は、「外貨」すなわち「ドル」が不足していたから、これらの産品を購入できなかったのではないか?こう思われてはいないだろうか。当時、我が国は「円」で取引をしており、「外貨不足」など関係はない。ABCD(米国・英国・シナ・オランダ)政府の圧力によって、購入できなかったのである。オランダとの交渉を行ったのは、阪急で知られる小林氏である。だが、交渉は決裂し、我が国の「生存の危機」が生じ、戦争は、現実の問題となったのである。「軍事力を利用して、これらの産品を得る)マッカーサー証言、これはマッカーサーですら「我が国の戦争を自衛戦争である」と認めた。とされるが、そもそも、他国にこれが「自衛戦争である」と認めてもらうような筋合いのものではない。「感謝」する気にはならない。反日日本人を説得する材料と割り切るのは良いと思うが。。。それよりも、それ以前、我が国の人口問題がの解消の手段として、米国が日本からの移民を拒否したことが、始まりであろう。そしてそれが、満州族と利害が一致し、シナと満州族との契約に基づき、彼らは「主権」を主張し、我が国の手を借り成立したのが、満洲である。そもそも、この地のために多くの日本人の血が流され、「露清密約」により日露戦争の敗戦国の扱いを受けねばならない清、その後継軍閥の有力な一つにすぎない蒋介石などには、「満洲」において権利を主張することができない。これこそ「国際法」に則った成城8な認識なはずである。そのようなことすら理解できていない真っ赤^サー証言などありがたがる必要は、本来何である。(勿論、米国向けに大いに利用すればよいものではあるが。。。しかし、今の米国でマッカーサーといってありがたがってくれるかどうかは不明であるが。。。)まあマッカーサー証言なるものは、一部だけを切り取って、切り張りしたとしても、切り返される危険性あることは承知しておいたほうがよかろう。「台湾」「沖縄」に関する点、日本人をどのように見ていたのか(12歳の子供)などをも、しっかりと呼んでおくべきであろう。そこにはっきりと「人種差別」がある。ヒトラーの「わが闘争」では日本人について書かれていた部分が削除されて、当時日本で売られていたらしいが、そのような轍を踏んではならないのである。12歳の子供が戦争を決断できるのか???彼は、日本は、やりすぎてしまった。このように書いているのである。Senator Long.(ロング上院議員)Germany might be cited as an exception to that, however. Have you considered the fact that Germany at one time had a democratic government after World War I and later followed Hitler, and enthusiastically apparently at one time.(しかしドイツはそれに対する例外として挙げられるかも知れません。ドイツは一度、第一次世界大戦の後に民主主義の政府を有したのに、その後、一時は熱狂的にヒトラーの後を追ったという事実をあなたは考慮しましたか?)General MacArthur. (マッカーサー元帥)Well, the German problem is a completely and entirely different one from the Japanese problem. The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature.The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. They were still close enough to origin to be elastic and acceptable to new concepts.The German was quite as mature as we ware. Whatever the German did in dereliction of the standards of modern morality, the international standards, he did deliberately.He didn't do it because of a lack of knowledge of the world. He didn't do it because he stumbled into it to some extent as the Japanese did. He did it as a considered policy in which he believed in his own military might, in which he believed that its application would be a short cut to the power and economic domination that he desired.Now you are not going to change the German nature. He will come back to the path that he believes is correct by the pressure of public opinion, by the pressure of world philosophies, by his own interests and many other reasons, and he, in my belief, will develop his own Germanic tribe along the lines that he himself believes in which do not in many basic ways differ from our own.But the Japanese were entirely different. There is no similarity. One of the great mistakes that was made was to try to apply the same policies which were so successful in Japan to Germany, where they were not quite so successful,to say the least.They were working on a different level.(まぁ、ドイツの問題は日本の問題と完全に、そして、全然異なるものでした。ドイツ人は成熟した人種でした。アングロサクソンが科学、芸術、神学、文化において45歳の年齢に達しているとすれば、ドイツ人は同じくらい成熟していました。しかし日本人は歴史は古いにもかかわらず、教えを受けるべき状況にありました。現代文明を基準とするならば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して日本人は12歳の少年のようなものです。他のどのような教えを受けている間と同様に、彼等は新しいモデルに影響されやすく、基本的な概念を植え付ける事ができます。日本人は新しい概念を受け入れる事ができるほど白紙に近く、柔軟性もありました。ドイツ人は我々と全く同じくらい成熟していました。ドイツ人が現代の国際的な規範や道徳を放棄したときは、それは故意によるものでした。ドイツ人は国際的な知識が不足していたからそのような事をしたわけではありません。日本人がいくらかはそうであったように、ついやりすぎてしまったわけでもありません。ドイツ自身の軍事力を用いることが、彼等が希望した権力と経済支配への近道であると思っており、熟考の上に軍事力を行使したのです。現在、あなた方はドイツ人の性格を変えようとはしないはずです。ドイツ人は世界哲学の圧力と世論の圧力と彼自身の利益と多くの他の理由によって、彼等が正しいと思っている道に戻っていくはずです。そして、我々のものとは多くは変わらない彼等自身が考える路線に沿って、彼等自身の信念でゲルマン民族を作り上げるでしょう。しかし、日本人はまったく異なりました。全く類似性がありません。大きな間違いの一つはドイツでも日本で成功していた同じ方針を適用しようとしたことでした。控え目に言っても、ドイツでは同じ政策でも成功していませんでした。ドイツ人は異なるレベルで活動していたからです。)マッカーサー証言の都合の良い部分だけを切り取り、デフォルメするような行為は、やめるべきである。これでは左翼と同じではないか。。。マッカーサー証言の一部を「靖国神社境内に」という動きもあるようだが、マッカーサーはパルとは違うのである。日本人の悪しき「迎合壁」が頭をもたげている。と言わざるを得ない。そもそも、マッカーサー将軍は「他人の手柄は俺の物、俺の手柄は俺の物」として生きてきた人物であろう。これが、日本人の美意識にはどう映るのかを考えてもらいたい。文責 上田 和哉