赤毛のアンを疑似体験したような過去
昨日、みいちゃんから頂いたコメントにアメリカの生活の話のことがでていたのでブログネタがないときにいいなあって思い、早速「アメリカ生活」のカテゴリーを作って今日はそのことを少し書こうって思う。今までの人生の中でアメリカ生活が一番幸せだったって以前のブログに書いたけれども、それは「今思うと」であって、最初海外生活が決まった時は「はぁ?」って感じだった。すでに会社でアメリカに駐在している人がいるわけでもなく会社として初めてのことだった。なので夫も私もこれっぽちもそんなことになるとは思ってもみなかった。夫の会社がアメリカの同様な会社を買い(買収?)日本から3人がそのアメリカの会社で働くこととなったのだ。 (夫20代、あと上司二人はそのとき40代だった)夫を含め、若い社員は会社から英会話を習わされていたけど、まさかそのためだったのか。まだペーペーの若い社員だった夫も驚いたと思う。私も生まれてこの方、愛知の田舎(東三河)から出たこともない、それがいきなりアメリカ生活、しかも言葉もわからなくてやっていけるのか?と不安がいっぱいだった。上司二人は子供もいたり、親のこともあったりしたので奥さんは最初からついてこないで、数か月(半年くらい)あとの落ち着いてから来ることになっていた。でも私たちは夫婦は子供はまだいなかったし、(死産のすぐ後のことだった。)親はまだそのころは元気だったので妻の私は最初から夫と一緒に行くことにした。会社から「行け」と言われてからほんとに2,3か月後のことだったと思う。そうして3月の終わりに私たちはアメリカの南部ノースカロライナ州のシャーロットへ向かった。途中、ニューヨークに寄る。空港にいろんな人種がいるのにすでに圧倒される。私は田舎育ちで外国人は英会話学校でしか見たことがなかったのだ。人種もいろいろ、髪の毛の色だっていろいろ、肌だっていろいろだ。話す言葉もまったくわからない。不安はマックスだったよ。夫がいたから、なんとかなったんだろうけど。ニューヨークの無機質な都会の雰囲気になじめず(ホテルの周りが特に)ちょっぴり暗くなっていた私だけど、目的地のシャーロットに着いたらその不安は一気に解消したのだった。なぜかというと緑がいっぱいだったから。木々がたくさんある街だった。3月の終わりはちょうどドッグウッドの花が咲き乱れていてとても綺麗だった。ドッグウッド(日本のハナミズキに似てる)はノースカロライナ州の州の花。ドッグウッドのトンネルみたいな道の下をくぐるとまるで赤毛のアンが初めてプリンス・エドワード島にやってきてマシューとともに見た「喜びの白い道」みたいだった。一目でこの街が好きになり、不安がなくなったのだよね。今思うとあの最初の印象がその後のアメリカ生活をずっと明るくしてくれたのではないかなと思う。ドッグウッドの下の20代半ばの私。顔は見えないのでいいかな。(写真が横か~い!見づらくてごめん)こちらは今日の私。還暦近くにあっという間になってしまった。久しぶりにスカートはいた図。(いつもは99%ジーンズかあったかジーンズ)白髪交じりでしわも増えたわ~。浦島太郎の玉手箱を開けた気分(-_-;)Now there is a bend in it. I don’t know what lies around the bend, but I’m going to believe that the best does. It has a fascination of its own, that bend, Marilla. I wonder how the road beyond it goes—what there is of green glory and soft, checkered light and shadows—what new landscapes—what new beauties—what curves and hills and valleys further on.”いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの。赤毛のアンより新しく50代主婦ブログに参加しました。にほんブログ村ミニマリストのカテゴリーを2型糖尿病に移行しました。にほんブログ村↓いつもの薔薇ブログもよろしくね(*^^*)にほんブログ村<