【40】ウィンスバッハ少年合唱団主催の少年合唱団祭 前編
明日、少年合唱祭の催されるニュルンベルグに発ちます。この6月から8月までの3ケ月間に限って、一か月9ユーローでドイツ中の市電や国電が乗り回せるチケットが、どこの駅の自動販売機でも買える事になっています。私も買って来ましたが出不精なのでまだ使っていません。この切符でドイツを何回も横断できるのですよ。バス、地下鉄、路面電車、市内電車、痴呆---じゃない、地方電車が使えます。でも、乗れる長距離列車は鈍行なので、南ドイツの端から北ドイツの端に行くには混んだ列車で16時間かかるそうで、1971年に乗った東ヨーロッパの列車を思い出しましたが、あれはまだ若かった頃のお話で、今はそういうのはご遠慮します。と言う事で、行きは一緒に行く友人がICEを予約してくれました。何と指定席共に約60ユーロもします。思えば2019年の6月、ICE93でこのルートを経由してウィーンに直行したのでしたっけ-------その記事もまだここに持ってきていませんじゃ。明日乗るのはICE505、ワゴン4でハンブルク発ミュンヘン行きです。楽しみだなぁ~。土・日曜日は35℃以上になると言うので、荷物もこんなもんで結構。最近、太陽光線が左目に入ると突如盲目になるので、水玉のキャップをかばんに括り付けました(後で失くしてしまったぞよ)。今日はその問題の目にドロっとした目ヤニの様な液体が浮いていました。そんなことは初めてだったので、慌ててふき取って下瞼の中を見ると、真っ赤になって膿の膜があります。でも痛くないので、そのうちに治るでしょう。黒いビニールバックには青と黄色の色紙を貼り付けて、ロシアの侵攻が続く限り、ウクライナはいつも一緒です。 2022年6月17日金曜日 。。。。。 。。。。。朝早く二人分の鳥カツサンドとパスタのサラダを作って、飲み物はレモネードを用意しました。下瞼の中の充血はそのままですが、キラキラの青空で心は浮き浮きです。我が家から最寄りの駅まで歩いて12~3分。駅から下にあるホームに出ると、菩提樹の花の優しい香りが漂って来ます。さぁ、電車が来ました。9ユーロチケットで混雑していると思ったら、此処はガラガラ。ハンブルク発の高速列車のICEがベルリン中央駅で30分間も止まるので、指定席に座って待ち合わせをすることに決めてあります。私の電車は時間通りに出て、時間通りにゲズントブルン駅に到着しました!さて、今は8時6分。ICEは8時30分にベルリンを出発します。中央駅まで、8時11分発の赤い地方鈍行列車で行くか、それとも8時19分発の銀色のICで行くか。もちろん、友人がチケットを取っておいてくれたICで行くに決まってるじゃありませんか。何かスピーカーから聞こえて来ますが気にしない、気にしない。ICのホームに来ると、向かいのホームに止まっていた8時11分発の不格好な地方列車が静かに去って行きました。9ユーロチケットで、あっちに乗れば良かったかな、とちょっと反省の気分も。それにしても、中央駅に23分に到着するドレスデン行きのICも、もうすぐ来てもいい時間です。同じホームに止まるので、ICE505には悠々と乗り込むことが出来るはず。が?・・・・はて、おかしいな、もう来るはずのICがまだ見えんわ!するとさっきから聞こえていたスピーカーの声が急に意味を持って聞こえてきました。「ドレスデン行きのIC2173 は10分の遅れで到着します」 だってさ!ちょ、ちょっと! 何でもっと早く言ってくれないのよ!・・・・・って、私がS1から下りた時から言っていたのかもしれないね。どーする、19分発が10分遅れたら、23分到着が33分到着って事じゃん!30分に出発するICE505 に3分間、間に合わないって事じゃんか!いや、もう焦って、焦って、ついに隣にいたおばさんに愚痴る。おばさんは申し訳なさそうに言いました。「私はドレスデンに行くのでいくら遅れても不利にはならないのよ。いっその事、ドレスデンからニュルンベルクに行ってはどうかしら。」その時ようやくIC2173 の姿が見えてきました。 愚痴られたおばさん。「遅れる、遅れるって言うばかりで、申し訳ありません、なんて謝罪の一言も無いんだから!」とゲズントブルンのホームに捨て台詞を残して混み合った列車に乗り込みました。こんな列車には色を付けてあげませんのじゃ。立ったままで、混んだ列車内でも焦ったタヌキの文句がブツブツ聞こえています。きゃぁ~、ICに乗っているうちに8時30分になってしまった。ICEは友人を乗せて行ってしまうだろうなぁ~。すると、それを聞いていた隣の女の子が携帯で何かポチポチやりながら「ICEは15分遅れるそうですよ。」と教えてくれました。あまりにもホッとした私は思わず「いつも遅れるドイツの列車に感謝します!」と訳の分からない事を言ってしまったのじゃ。ちょうどそこでICが止まって、混んだ列車から混んだホームに飛び出すと、人混みの中の友人を探すために、列車がどちらの方角から来るのか人に尋ねても、知る人は皆無。運よく駅員さんと巡り会ってワゴン4の止まる場所を教えてもらえました。思った通り友人はそこにいて、何とのんびりと携帯をいじっています。こっちは冷や汗をかきっぱなしだったのに、極楽とんぼかぁ~と思ったら、まさにプップクンに電話を入れるところだったそうです。心配性な彼にそんな電話が行く前に、友人に声を掛けることが出来て良かったです。指定席を取っておいて助かったけれど、進行方向とは逆な席で友人はちょっと失望。私は寝る前にコーヒーを飲んでも平気なぐらい、列車の席はどっちを向いていても平気なのです。ホッとしたらお腹が空いて、早速DB(ドイツ国鉄)のコーヒを注文しました。今回は3,20ユーロで、前回より10セント安かったのに、美味しさは変わりなかったし、自分の質素なお弁当にも大満足でした。おしゃべりに熱心で表の景色には余り気を配っていませんでしたが、いつの間にかライプチヒに着いています。あれれ、駅を出発したら私達の席が、いつの間にか進行方向になっているのです。トーマス教会少年合唱団を何度も聞きにライプチヒに来ている友人が、この駅は終点だから、戻るしかないの、と教えてくれましたじゃ。エーリヒ・ケストナーの飛ぶ教室の舞台になったバンベルクを過ぎたら、いつの間にか目的のニュルンベルクに着いていました。早い!3年前はライ二ーさんが見送ってくれたウィーンから、この駅に着いてベルリン行に乗り換えたのだわ。君がちゃんと帰るか、この目で確かめるために見送るんだからね、といたずらっぽく笑って言ったライ二ーさんのあの姿がまさか、最後になってしまうとは。ハッと気が付いて隣の掲示板を見ると!!あ~ぁ、ニュルンベルクからベルリンに帰らないで、このままウィーンに行っちゃいたいなぁ。まだ待っていてくれる友人がいる間に、あの街に行かなくてはならない気がしているのです。コロナのせいで、どんなに多くの人が大切な人に会えないまま最期を迎えてしまったのでしょう。ニュルンベルクの駅の構内ですが、ま、西ヨーロッパの大都市の中央駅なんて、みんな似たような物でしょうね。この中央駅は旧市街の入口にあって、私達は此処から地下鉄の1番でその旧市街のど真ん中に乗り込むのじゃ。このカメラも持ち主の眼と同じで、暗いところでは働きが鈍くなって来ていますね。駅はたった一駅乗るだけで、地下から出た目の前にゴチック建設の大きなロレンツ教会が現れました。この福音教会で明日は少年合唱団のコンサートが2回行われます。それにしても27度にしては何という暑さ‼ まずはホテルを探さなくては-------と、グーグルの地図を頭に浮かべて道を左に曲がります。目に付いたのは数多くあるニュルンベルクの噴水の一つ、松ぼっくりの噴水。この噴水のある道を右に行くとニュルンベルクで最も古いフライシュ橋(日本語ではお肉橋)と言う石橋があります。遊んでいる坊やの頭の上にほんのちょっと見えるのがそうです。お肉橋の上から撮った中央市場の写真ですが、左は1850年代のもので、右が現在です。ザクセンのバウツェンと同じで、余り変わっていないでしょう?お肉橋なんて、変な名前だと思ったら、左の建物が食肉処理場だったんですって。此処には当時、それぞれの肉の部分を売る73台の屋台が出ていて、処理で出た不要な残りは下を流れるペグニッツ川に捨てたそうな。そのお肉橋から見たお隣のムゼウム橋。日本語では博物館橋。このペグニッツ川の色がドナウ川の色によく似ているのに気が付きました。あの橋がいやに賑やかなのは、右に聖ロレンツ教会の広場があって、左には中央市場があり、観光客が集まっているから。明日、聖ゼバルト教会でコンサートを終えたエスコラニアの少年達が、あの可愛らしいカソック姿で、あの橋を渡って聖ロレンツ教会に向かうなんて、この時はこれっぽちも思いませんでしたからね。思いがけなかったので見過ごしたのも確かなんですけれど。これが中央市場で、向こうに見えるのは聖母教会。エスコラニアはあの教会の前を横切って橋を渡って行ったのでした。この広場では有名なクリスマス市が開かれ、友人もずっと昔に一度訪れた事があったとか。冬で暗かったから、こんな景色は知らなかったそうです。やっぱり冬よりこの時期の方が千倍も素敵なんですよね。ホテルを探しているのに、お肉橋の上から見えた野鴨の群を「あ、お魚!」と友人が言った時に大笑いして、頭の中の地図が白くなってしまいました。それでこの辺をうろうろしてしまったのですが、私達のホテルは聖セバルト教会のすぐ近くのはずです。塔の二つある建物が左に見えて、あれが聖ゼバルト教会だと、カモを魚と言った友人が言います。私は手前に見える、三角帽の可愛い笑顔の塔を目印に記憶しました。あれ、よく見たら本当は日時計なんですよね。聖ゼバルト教会に向かう途中で、有名な「麗しの泉」がありました。泉と言うよりも教会の塔を思わせますが、近づいたら水が出ていた。日本の鹿威しみたいに水がたまると下に流れるのですが、さすが野暮いドイツだけあって、水は手動で流します。下が普通の石畳になっているので水が跳ね上がって靴が濡れる事は確実。この泉のどこかには鉄のリングが付いていて、それをぐるっと回すと幸運に恵まれるとか----この暑さでそんなもの目に入らなかったわい。うわぁ、これが明日一番に少年合唱団を聞ける聖ゼバルト教会なのですね。こんな所で聞けるなんて、凄いだろうな。ちなみに、手前の小さな建物はかの有名なニュルンベルクのソーセージを焼いて食べさせてくれるお店なので、今晩はここで夕食としますかぁ。私達はこの時点でもう、汗びっしょりなのです。このお店の横を曲がればすぐにホテルがあったのに、知らないで大きな教会をぐるりと回ってしまい、ホテルの看板をようやく見つけたと思ったのに、イタリアレストランの横にある入り口を見過ごしてしまい、さらに先に行っておかしいと思い、戻ってようやく玄関を見つけるしまつ。レセプションには眼鏡の女性が一人、電話の対応をしているところで、なかなか終わらせないのでちょっとイラつきましたが、向こうが先だったので仕方ない。明日の朝食は11時からのコンサートの為に、13,50ユーロと高かったにも拘わらず、このホテルでしっかりと取ることにしました。エアコンディションは窓のノブをしっかりと閉めておかないと効きません、と言われて了解。私達の部屋は大きなパーキングハウスの裏道に面していて、教会が見えないのがちょっと残念でしたが、この暑い最中、太陽が入って来ない方角でよかった。まぁ、今回はのんびりと部屋で過ごすつもりではないので、此処からの景色はどうでもいいのです。それよりもエアコンディションの操作がわからなくて、蒸し暑い部屋の中で汗の掻きっぱなし。日本でもドイツでも扇風機しか使った事が無いので、計器がどうなっているのか、どうやってもウンともスンとも作動してくれません。諦めてまずはシャワーを浴びている間に、現代人の友人がちゃんと冷房を効かせておいてくれました。これで安心してまた出かけられます。一番暑い時間ですが、明日も明後日も市内見学などしている時間はありませんから、今日中に見たいものを見ておかねば。ニュルンベルクの旧市街はそれほど大きくないので、徒歩でも1日で全部見られる気がしましたが、地図が頭に入っていないと、どこをどう歩いていいのかわかりません。この建物の後ろは「香りの市場」だそうで、見ないで向こうに見える橋の方角に行ってしまいました。想像ではあの塔の後ろに家みたいな橋があるはずです。残念ながら、橋だと思ったのは川の上に掛けられた家でした。この塔は昔は給水塔だったのが、1400年には刑務所に使われ、今は学生寮になっているらしいのです。あんまり暑くて気が付かなかったのですが、向こう側は小さな島になっていて確かに面白そうな何かがありそうでしたね。これは次のマックス橋から見た風景ですが、学生寮の窓にはウクライナの旗が閃いていました。このペグニッツ川を挟んで、旧市街はロレンツ地区とゼバルト地区と別れているのですね。教会が地区の名前になっているなんて凄い。あっちがゼバルト地区。ニュルンベルクで一番楽しみにしていたのはこのシュライヤー塔の吊り橋を渡る事だったのですが、あいにく工事中で立ち入り禁止になっていました。さて、これからどうしよう。友人は中央駅の前にある要塞のフラウエン塔の手工芸市を見たいそうです。それなら地下鉄の1でまたロレンツ教会に戻って来れるので、その前に9ユーロチケットでどこかに行ってみようと、バス停を探しました。おや、こんな所にベートーベンの像がぽつんと立っています。調べたら、これは本来オペラハウスの前にあったそうな。いたずら書きがしてあって「何も聞こえないよ。」ですって。旧市街の周りを囲んでいる城壁がバス36番の停留所前にもありました。そのバスに乗って終点まで行ったのですが、後で調べたらマイスタージンガ―ホールと言う大きな音楽堂の前でした。太陽の陽が強くて、下草は枯れています。そこからまた市電8に乗ったのですが、偶然にも友人が見たかった手工芸市場のある中央駅までやって来ましたよ。あの塔を目指して直行すればよかったのに、我々は左に行ってしまい、またまた城壁に添って大きく遠回りしてしまいました。このローテンブルグに似た赤レンガの城壁の外側が中央駅方面で、手工芸市場は前方にあるはずです。もう、暑くてへたばりそうなうえに、またバウツェンでのように首筋がキンキンと痛くなっています。リハビリなんて全然効いていないじゃんかぁ~。友人が心配してくれますが、こんな事でせっかくの観光に水を差したくないのです。あ、市場に出ました---------いたたたたた。この中世風の市場は観光客用に造られたそうで、名産のレープクーヘンやソーセージも買えます。ちょうどここを歩いている時に、突然「ママ、ウクライナだ!」と澄んだ黄色い声がしました。そちらの方を向くと、私の黒いバックのウクライナの色に思わず声が出てしまった様子の坊やが、恥ずかしそうにお母さんにすり寄っています。そこには身なりの良い3人の少年とその母親と思われる上品そうな女性が立ってこちらに笑顔を見せていました。私も思わず嬉しくなって「ウクライナ?」と聞くとみんなのうなずきが戻って来ました。言葉が通じないので、親指を立てて「イイネ」するだけ。話せたら一緒にお茶でも招待出来たのになぁ~。ここでもウクライナからの避難民に会い、テンションが上がったので首の痛みを忘れました。リハビリなんかより、よっぽど効くんだわ。それにしても初めから此処から入っていたら楽だったのにね。私達は中央駅から地下鉄でまた聖ロレンツ教会の広場に戻ります。明日の為にロレンツ教会の中を見ようとしたら、大門の前には厳しい顔つきをして何人かの老人たちが横断幕を掲げてデモをしていました。何だと思って聞いたら「平和の為です」ですって。ウクライナの為ですか、と聞くと、首を横に振って、自分達は世界の平和を願って教会の前に立っていると言っていましたが、この暑いのにご苦労様。お体を大切に、と言ったら「もう今日はFeierabend-終了時間-ですとにこやかに言って、横断幕を片づけだしました。さすがに信仰心の強いバイエルンだなぁ、と感心。私たちもここでようやく体を休めることにしました。私は6,40ユーロのアイスコーヒー、友人は8,10ユーロのチョコレートボックス-----主人たちと一緒だったら絶対に口に入らない代物じゃい。友人のアイスをほんのちょっと味見しましたが、チョコクリームの味がものすんご~~く濃くて、私には絶対に完食出来ない代物なのでした。聖ロレンツ教会の鐘が鳴り出し、他の教会の鐘々も混じって中途半端な音じゃないのが響き渡ります。此処ではその音と一緒に色まで空に飛んで行ってしまったのですからね。冷たいものが体に入って少し元気が出て来たので、今度はお肉橋ではなくて、ムゼウム橋を通ってホテル方面に行こうと思います。すると教会の横には、女性の乳首から水がほとばしっている噴水がありました。私は何の知識も無くて、何たる不道徳的な噴水じゃ、などと呆れていましたが、72年組の通訳をしていたgillmanさんが こんな写真を送ってくれました。ラテン語でLactatio Bernardi、聖ベルナルドが「神の歌についての解説」を書いていると、そこに聖母マリアが現れて、ご褒美に彼の唇を乳で濡らしたと言う場面。そもそも、「聖母の授乳」と言う題の絵画が沢山あるみたいですね。この噴水は「美徳の泉」と言うそうですが、乳じゃなくて水じゃん!何はともあれ、少しづつ知識が増えて行く気がしますが、忘れるほうのが早い。ほら、川には友人の言う「お魚」が何羽もいるでしょう。水は濁っているように見えますが、「お魚」の掻く水かきはとても澄んで見えるのです。向こうにも橋が見えますが、もういいわ。ムゼウム橋を渡るとまた新しい噴水がありました。アダムとイヴが楽園から追放される場面で、破壊の危機に迫っている世界がこの小さな船で現されているそう。あんまり暑くてじっくり見ている気分では無かったけど。ここでまた、適当に目についたバス47番に乗ってみました。何処に行くかわからなかったけれど、何しろ乗っていれば景色が見れる。けれど降りた終点は郊外のモダンな住宅街で(バスは北西に向かっていました)写真など撮る意味も無いような場所。そんなところにいても仕方がないので、同じバスで戻って降りると、私達が道に迷ったと思ったらしく「何かお手伝いしましょうか」と運転手さんが声を掛けてくれました。親切な運転手のいる、今まで私たちを乗せて来たバスが向こうに去って行きます。聖ゼバルト教会の後ろ側ですが、写真の構図がいい加減で、疲れが出ているのがわかりますねぇ。今は19時15分。今日20時からオンラインでトマーナのマタイを放送するとブロ友のJokuさんが教えてくれていたので、それに間に合うようにホテルに戻るところです。聖ゼバルト教会の横の小さなソーセジ屋さんの前を通るとたまらなく良い匂いがしていて、9本のニュルンベルガーソーセージとザワークラウトで9,50ユーロと書いてありました。ザワークラウトが食べたくて、夕食は後で此処にしましょうね。ホテルの部屋は、出る時に考えもせずにカードを抜いてしまったので、冷房が切れていました。汗を流す前に鏡で下瞼を見ると、まだ充血も膿の膜もそのままです。気にせず、シャワーを浴びてさっぱりしている間に、友人がまたエアコンを付けておいてくれたので、部屋は心地よくなっていました。友人は浴室で過ごす時間が長い人なので、私がベットに入ってから好きなだけ使ってもらう事にして、今は持参のタブレットで、jokuさんから頂いたリンクを開けることにします。しかしコンサートが始まってから15分、やはり薄いタブレットでは音が気に入りません。ライヴ放送とは言え、ベルリンに戻って見る事も出来るので、今回はおあずけにします。外はまだ明るいのでこれからニュルンベルク城を見に行くことに決め、ホテルの前から出ている36番のバスで一駅、お城の丘の中腹で下りて、坂を上ります。ユースホステルがあって、そこに少年合唱団のどれかが泊まっているのではないかと浅はかな希望が湧きました。その気配、全く無し。21時にお城の高台からニュルンベルクの旧市街を見たところです。さて、見るべきものは見た気分になったので、さっきのソーセージ屋に行って席に座ろうとしたら、お店は9時半で閉めましたよ、と言われました。時計を見るときっかり9時半です。前からいたお客さんはまだ座っているし、ブーブー文句を言ったら、今キッチンに行けば最後のソーセージが残っているからそれを買えますよ、と言われて中に入ると、(多分)ヴェトナムの女性が汗まみれになって、もうもうと上がる煙と炎の中でソーセージを焼いていました。その光景にちょっとショックでしたが、ソーセージ3本とパンで3,50ユーロだったし、お腹が空いていたのでそれを買って歩きながら食べました。それにしても、ここら辺は何処もみんな閉まっていて、昼間のにぎやかさはどこ吹く風。もうすぐ夜の10時になると言うのに、多分ジプシーの子供達でしょうか、ボール遊びをしながら大声をあげています。理性的なドイツの子供達はもう寝ている時間のはず。こういうのを見ると、郷に入れとも郷に従わない移民は困るなぁ、と思います。麗しの泉には人だかりがいなくなって、友人はここぞとばかり、柵を猿のように身軽によじ登り、願いのリングを回していました。何を願ったのでしょうね。明日は、その願いが叶いますように。私は願いも無いくらい満足ですが、友人はエスコラニアの団員と交流があって、日曜日にミサでビロライと言う讃美歌を歌うと連絡をもらっていました。それが何時どこのミサか、まだ団員から知らせが無いので、早く聞き出してもらうように頼んでいます。エスコラニアがミサの後で必ず歌っているビロライの歌が実際に聞けたら本望なんですけれどね。今日はもう、ホテルに戻って、タブレットでニュースを見て、寝ます。