【88】英国への旅 3
2023年6月24日あまりブログを放っておくとカビが生えて来るので、また青きドナウから一つ引っ越しさせて来ます。しかし、今はウクライナ戦争が気に掛かってゲオルクさんの本を読む傍ら、そちらのニュースにもかじりついています。 (初公開2017年7月1日-再編集2023年6月)バース、ロンドン、2017年5月5日デヴァイゼスを後にするとすぐにまた田園風景が目に入ってきました。そして車はまた名も知れぬ小さな町を通り過ぎて行きます。まるでバルト海沿岸の村の藁ぶき屋根のような家。でもやっぱり煙突はイギリス。ここはザクセンのマイセンよ、と言われたら信じてしまいそう。でも煙突はイギリス。ここはベルリンのヴァイセンゼーよ、と言われたら、ウソつけ~ぃ、煙突を見ればイギリスだってわかっちゃうよ、と返事が出来る。実は私が特に興味を持ったのが、バース(Bath)という町なのです。イギリスでは珍しく温泉の湧いている場所なんだそうで、そのバースに着いて車を降りたものの・・・・ここは一体バースの何処なんだろう。温泉はどこじゃ~。でも何だかとても印象深い通りですね。ブロ友さんからイギリスのバラを見て来てと言われましたが、場所のせいかバラより藤の花の方が多かったのです。ようやく観光案内の掲示板が見つかりました。とはいうものの、どこをどうやって見たらよいものか・・・。バースの名前だけ気になって下検分をしてこなかったのでまた適当に散策です。かの有名なイギリスの電話ボックスがありましたが、その前に立っている辻音楽師が元アングルベルガー隊の誰かさんに似ていました。彼は日本茶が大好きで「君がイギリスの味の悪い紅茶を口にしなくても済みましたように」と書いて来たので、子供の頃にイギリスの演奏旅行で飲んだお茶がよほど不味かったのかなと思ってしまいました。それとも味覚音痴?あのね、言葉を返すようですが、今まで出されたイギリスのお茶はコスタのコーヒーより美味しかったですよ。 ここはどうもイギリスって言う感じじゃないんだけれど。ローマ帝国だった頃の名残でしょうか?でもやっぱり煙突はイギリスか。こっちに行けばいいのかな?あら、変なところに出ちゃった。でもいい景色ですねぇ。ここは?門番もいないし、門も開いているし・・・・でも何だか入りにくい気がするのでそのまま通り過ぎましょう。しばらく行くと、目を見張るような場所に出ました。この印象的な集合住宅がぐるりと円を描いて建っています。圧倒的でしばらく立ち尽くしてしまいました。でもどうやら地図で見たローマ風呂がある場所を随分通り越して先に進んでしまったようです。そこでまた後戻り。誰を迎えに行くのでしょう。あれれ、ヴィクトリア朝の服装の人形が立っていると思ったら。わぁ~い、どうしよう どうしよう私の大好きな作家ジェーン・オースティンの資料館があるじゃないの。まさか、こんな所で我が最愛のダーシ―様に出会うとは 。そうなの、この「高慢と偏見」の映画の中のコリン・ファースには私はもう、どんな映画俳優の誰よりもメロメロになってしまっています。昔、この本を読んだ時は、外国のユーモアに疎くて大した感動がなかったけれど、BBC作のこのテレビ映画を見た時は興奮して眠れなかったくらいです。ちなみに、イギリスでこの連載ドラマが放映された時間帯は、道路に出ている女性が一人もいなかったとか・・・・大袈裟でもなさそうだわ。今は消されてしまっていますが、ニコニコ動画で日本語の字幕付きでこれを見た時はもっともっと感動でした。母国語は安心するのです。でも私が持っているのはドイツ語版で、それも完璧じゃないやつ。それでもまた見たくなってきました!ちなみにこのバースの街は別府と姉妹都市なんですって。美味しそうなパイが売っていました。大抵見るだけで終わっています・・・・ようやく目的の場所近くに到達したような気がします。手前がローマ浴場博物館でその後ろはバース修道院教会ですって。けっこう若い見学人が集まっていましたね。私達はこの人込みを避けて入りました。この博物館も結構面白かったです。私が下手な日本語で説明するよりも、ネットで調べれば沢山出て来ますよ。教会を後ろに控えた博物館の風景はなかなかのものです。温泉と言うので熱い湯気の立ったお風呂を想像していたのですが、確かに冷水ではなかったものの、生ぬるいだけでした。ローマ帝国がイギリスを支配していなかったら、この浴場も博物館も無かったことでしょう。後で調べたら近くにはこのような川があって、こんな景色も見れたのですね。写真は借りものですが、あのデヴィ―ゼスキャッスルみたいに見過ごした景色の一つでした。さて、今日も宿探しに時間を喰ってCalne と言う街のこのホテルが見つかりました。朝食は付いていますがレストランの無いホテルでした。B&Bと言うやつですね。散歩がてらに夕飯の選択に出ると近くにはこんな教会がありましたが、バイエルンやチロルとは全く違うイギリスの建築様式も好きになりました。その先に中国人の経営するfish and chipsのお持ち帰り店がありました。イギリスに来たら絶対食べようと決めていたのですが、店を間違った。部屋で包みを開けたら、塩もレモンも付いていなくてその油っぽい事ったら!いくらポテチが好きと言っても、この油のじわっと染み出る衣には辟易でした。5月6日このホテルのダイニングルームは古風なイギリス調の家具で飾られていました。そして朝食もイギリス風です。さぁ、また出発です。さらばCalneよ。ましなレストランのない町よ、さらばじゃ。今日はロンドン近郊のアニー叔母さんの住んでいた場所を訪ねます。アニー叔母さんは戦後、イギリス軍がドイツに駐留していた時にパイロットのヴォルターと知り合い結婚しました。今は二人ともお亡くなりになっていますが、子供がいなかった夫婦はプップクンを可愛がっていたそうです。プップクンが少年の頃、何度かこのおばさん夫妻を訪ねてイギリスに渡ったとか。道理で彼が英語に堪能なのかわかりました。あんまり単調な街だったので他に写真は撮りませんでしたが、ブロ友さんの言っていたイギリスのバラが目に付きました。この日は案外運よく簡単に宿を見つけました。インド人の経営する手ごろなモーテルで、ヒースロー空港から程遠くないハウンスローと言う何も無い街です。入り口がこんな感じ。そしてシャワー室と寝室の窓からの景色。大した眺めではないけれど、ロンドン見学が目的なのでどうでもいいのです。夕食の場所を探しに表に出ます。何しろここにはインド人とパキスタン人しか住んでいないのとかと思いました。そう、まるでベルリンのクロイツベルク(そこはアラブ人とトルコ人が多い)と同じかもしれません。この通りで美味しくて安いインド料理店を見つけましたよ。たれ付きのホカホカパリパリのサモサが3つで150円くらい。これは病みつきになったので家に帰ってまた何度か作っています。少し散歩した後でパブにはいりました。せっかくのパブなのに私はジンジャーエールです。お酒のみはシラけるね。今日はもう寝ます。おやすみなさい。5月7日朝起きたら屋根の上にキツネが乗っかっていました。嬉しくなって言葉を掛けたら「英語じゃないからわからないよ」とそっぽを向かれた。朝食のサロンはなかなか気持ちの良い場所でした。ここの朝食もイギリス風です。私はどうもこのベークドビーンズがそれほど美味しいと思わないんですよね。ベルリンでもたまにハインツの缶詰をを買っていますけれど・・・。コーンフレークがおまけに置いてありました。さあ、今日はロンドン見物です。嬉しい事に地下鉄の駅がすぐそばにありました。駅が近いところにあるホテルを選ぶのは賢明ですね。我が家から駅まで歩いて15分掛かるって言うのは雨の日は本当に嫌になります。それに暗くなると夜道は半盲目になるのでそれも怖いです。さてと、この駅に着いたのは10時半。気がついたら目の前に国会議事堂の有名な時計台がそびえていました。目の前にすると、流石にあまろの立派な建物なので圧倒されましたね。これがあの有名なビッグベンなのだ~!そうそう、この時計台には高校時代の愉快な思い出があります。ある日、通学の電車の中で目に付いたものがありました。「To do, or not to do」と書いてある広告です。ふ~ん、あれってシェークスピアじゃなかったっけ?あれ? でも本当は「To be, or not to be」じゃなかった?でもその後に続いたのが、BigBenだって・・・・・????ぎゃぁ~、それが「便秘薬」の広告だと判ったらもう大変。 電車の中でとんでもないことになりました。あ~ぁ、若かりし頃のポンポコリッキーはアホのように良く笑ったんだなぁ~。3月22日に起こったウェストミンスター橋でのテロの現場に行ってそこで亡くなった方への冥福をしばし祈って来ました。この近くにはウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)がありました。しかし、私の念頭には大聖堂(Westminster Cathedral )しかありません。昔、ラジオでウェストミンスター大聖堂聖歌隊のキャロルの祭典を聞いてから、何時かその歌声を生で聞いてみたいと思っていました。そこで冷風の吹きすさむ中を地図を頼りに歩いたら迷子になりました。テムズ川添いの素敵な建築物もほとんど目に入っていません。人に尋ねて再び地下鉄に乗り直してこの駅に着いた時は12時過ぎになっていました。今更ウェストミンスター大聖堂に行っても、もうミサは終わっているだろうと思いつつ、せめて彼らが歌う場所だけでも見定めるつもりでした。でも、その場所に行ってまたびっくり。壮大な建物かと思っていたのが結構こじんまりしている上に、周りは近代的なビルに囲まれていた。恐る恐る暗い堂内に入ると、何と!何と❕歌声が聞こえていました 。しかし、いつもながらの遅すぎたスイッチオンですねぇ。ごめんなさい、さらにバッテリーが切れました。同時にミサが終わって、いやいや付き合わされていたプッ夫クンはご機嫌です。いやぁ~、しかし立ち尽くすほどうっとりする歌声でしたよ。この合唱団の為にキャロルの祭典が作曲されたそうです。そこでぜひここでそのCDを買おうと思ったのですが、大聖堂ではそれが見つからなかったのでその代りに他のを買って来ました。なぜこの合唱団のキャロルの祭典に拘るのかと言うと、それは1964年に来日したフロシャワー隊に由縁しているのです。64年組がそれをNETテレビで歌った時、私はその曲を初めて聞いて題名も知らなかったのですが、ヨハン君の憂いのあるアルトの歌声とワルター君のソプラノが印象に深く残って、そこだけはっきりとメロディーを覚えていました。そして、ある時ウェストミンスター大聖堂聖歌隊のキャロルの祭典がラジオから流れ、そのメロディーの場所に至った時に、あの二人の歌ったものと同じだったことが判り、大きな衝撃を受けたのです。しかしキャロルの祭典のCDはレーゲンスブルクのを持っています。これも印象的なバッキンガム宮殿の柵でカメラを向けました。ウィンザーも見てきました。あの噴水にも座ってきました。そして見たこともない花木も見ました。素敵な銅像にも会えました。中華街にも迷い込みました。横浜とサンフランシスコを思い出しました。でももう人込みには疲れましたからハンスローに戻りたくなりました。ハンスローではこのステーキハウスに入ってほっと一息。そして、プップクンの今日のお誕生日をささやかに祝いました。5月8日 イギリスを出発の日です。子供たちの登校の時間に勝ち合わせました。ここら辺はやはり東南アジアの住民が多いことが判ります。少し行くとまた学校。え! え!これが学校ですって⁈私が女学生の頃に憧れた種類の校舎ですよ!もう、降りて中に駆け込みたくなりました!こんなところで勉強したら100点ばかり取れそう。さぁ、お帰りはこちらですって。また行きと同じ風景です。海峡トンネルの記念品で5月4日にフランスから、5月8日にイギリスから乗車です。5月9日私達はオランダの国境に近いエシュワイゲンに一泊して無事に帰宅しました。