【21】さやいんげん取らしてよ!
(初公開日2013年4月)手の込んだ料理が面倒で、たまにスープ用の骨付き牛肉を使って、プップクンの好みの、こ~ってりした野菜のシチューを作る日があります。入れる野菜はカラフルにして人参、玉ねぎ、セロリ根、さやいんげん、ポワロ葱、そしてジャガイモ。冷蔵庫を開けると、あれ、さやいんげんが足りなかったわい。プップクンにならば別になくても良い色なんだけど、でも入れた方が綺麗だから、と自転車で近くの大きなスーパーマーケットに買いに行く。何だか、今日はいつもより混んでるなぁ。あ、そうか、まだ午前中だったわ。買い物ワゴンにプラスチックの白いチップコインを入れて引き出し、猫の餌もついでに買って行こう、などと考えながら野菜売り場へ。ニンニクの束をワゴンに入れてっと、緑のバナナや青いりんごも一緒に・・・・・・えーと、さやいんげん。あ、良かったぁ、今日は運よく、さやいんげんが入ってるぞぉ。見ると、充分2人分は横幅のある”さやいんげんの箱”のちょうど真中に、で~っぷり肥った老婦人が立っていて、一心にさやいんげんを選り分けています。あ、この人も今夜はいんげん料理かな、と思いつつ、私はその婦人が、いんげん用の袋に取り終わって去るのを横に立って待っていました。彼女はちらりとこちらを見ましたが、横の私をそのまま無視してさらに選り分けを続けます。箱の横幅は充分に有り、普通は場所を分け合うのが常識です。けれどその婦人は同じさやいんげんを何度も交換しては、私が横に立って待っているのを意識して、まるでわざと時間をかけているみたいです。以前住んでいた(西)ベルリンには外国人が多く、かなり国際化していましたが、旧東ドイツだったここには、まだそれほど多くの外国人が住んでいる訳ではなく、未だに国際化や資本主義などに反発している共産主義の老人達が根強くはびこっています。特に、共産国だった時代に、良い役職についていて平民の上に立って甘い汁を吸っていたやつら(うぅ~、腹立ってくるぅ)には、統一されて国際化されてくる新しい自国への不満を外国人に向けてくる人がいます。←認容できない頭の固い、自分で勝手に不幸を作っている哀れな人々私には次第に、この人のも、外国人(特に東洋人)に対する嫌悪の現われだという気がしてきました。こういう人はただ髪や目の色や話す言葉が自分と違うというだけで嫌がらせをする、単純で非常に迷惑な人間の部類なのです。こうなると、ガキ大将の中の眠れる獅子が目を覚まさざるを得ません。その婦人のいんげんの袋が大きくなって、取り分けが終わったはずなのですが、退くと思うと、今度は<どっしりとした体をその場から動かさずに、横のハ―ブの選り分けを始めたのです。私の中の獅子が目を開けてあくびをしたぞ。私はとても丁寧に←そしてなるたけ愛らしく頼みました。「すみません、少し場所を空けてくれませんか」その婦人は私を上から見下す様な口調で言います。「私はまだ終わっていないのよ。 随分時間の無い人ね。」おっ、獅子の目がきらっと光りましたよ。「あなたはいま、インゲンじゃなくてハ―ブを選んでいるんでしょ。 ええ、確かに私は時間が無いですよ。 仕事に行かなくちゃならないんだから。」←家事の事その夫人は私がドイツ語で言い返すとふん、といった表情で、ほんの少しだけハ―ブ側に体を寄せ、横目でにらみました。多分ドイツ語など大して出来ないのではないかと思っていたのでしょう。それに仕事に行く、と言う言葉は共産主義の人間には効果覿面です。ハ―ブを選んだその夫人は、いんげんの袋を片手に、今度はのっし、のっしと重い体をゆすりながら“はかり”の方へ歩いて行きます。私はとっくの昔に、さやいんげんを詰めて、その婦人の横をすっと通り過ぎ、すでに”はかり”に袋を乗せて料金のボタンを押したところでした。するとそこに丁度その”でぶアホばばぁ”(ただの婦人から言葉が一変)が現われ、興奮した声で「まあ、私が計る所だったのに、あなたは場所を一人占めするのね。 この店はあなただけのためにあるのじゃないわ。 みんなのものよ」 と、周りに聞えよがしに言うではありませんか。私の中の獅子は牙を向けて立ちあがりました。「私が占領ですって? 場所を一人占めしていたのはあなたでしょう。 あなたが終わるまでずっと待っていたのは”わたし”なんですよ。 あなたの記憶が薄れたのならその場所に戻って再現しましょうか。」獅子は予期せぬ獲物に完全に喰いかかった。その婆さんは思わぬこの言い返しに顔を赤くし、さらに興奮すると、周りの人を見回すと誰かれかまわず「この東洋女は無作法だわ。 わたしに失礼なことをするのよ」と、甲高い声で訴えています。周りの人達は一応その婆さんを一瞥し、わたしに目を向けますが、けれど自分には関係ないというそぶり。←私もシラッとしてたからでも、今これを読むと腹が立ってくるんですよね~。私はこの状況にもう、頭っからバカバカしくなって向きを変えると、すべてを無視して他のコーナーに向かいました。ハッピーエンド ドイツに来たばかりの頃はこんな事があっても、何も言えずに、ただ我慢して家に戻って悶々とする事ばかりでしたが、今は外国人としての自分の”正当”を守れる様になっています。また、他の外国人の為にもそうしなければいけないと思っています。何も悪い事をしていないのに、不当に扱われてくやしい思いをしたまま黙っているのは、自分の心に対しての不正行為だと思うようになりました。転んでも立ちあがれる健康な心を作るには、沢山のネガティヴな体験をしてそれを踏み台にして強くなって行かなければなりません。さぁ、みなさん、大いに不快な体験をして精神を鍛え、余裕のある強い心を以って、世界平和に向かおうではありませんか。 2013年4月21日気持玉数 : 22 この記事へのコメントYUKARI 2013年12月09日 17:59なんていやな人なんでしょう!(怒)そんな人は何人(なにじん)であろうと嫌いですし、きっと周りからもけむたがられているかわいそうな人だと思います。ponkoさんが代わりに私の言いたい事言ってくれた、とスッキリしました。ponko310 2013年12月10日 02:04YUKARIさん1963年の記事同様、ここにも初コメして下さって有難う。外国にいると偶にこんな目に会いますね。だから、言葉が話せないとストレスがたまります。日本人は特に飲みこんでしまう傾向がありますよね。自分の言いたい事を上手く表現できるように練習しておかなくてはいけませんね。tack 2018年09月07日 17:17うんうん、あるある、こういう話。今は知らないけど、私がいた頃のウィーン人はね、概して服装で他人を判断していたんです。高級住宅街と言われている地区に部屋を借りていた頃は、金持ちの日本人と誤解されたのか、あからさまな差別にはあわなかったけれど(でも一度子供に外国人は出て行け、と言われたことがある)所謂下町ではGastarbeiterだと思われたらしく、悔しい思いもしました。ponkoさんのようにカッコよく対処できればよかったな。ponko310 2018年09月07日 19:27でもね、ドイツやオーストリアで日本からの外人であると言う事は、他から来ている外国人に比べて得だと思うわ。日本人の国民性は買われているもの。tackさんがどんな環境で子どもからそんなことを言われたのか気に掛かるけれど、きっとその子の親がトルコなどの出稼ぎ労働者を外国人と呼んで毛嫌いしていたのでしょうね。浅はかな子供は外国人と言う言葉を聞いて、すべての外国人が自分たちに何らかの損害を加えると思ったのかもしれない。私もね、71年にオーストリアのヴェルター湖で水遊びをしていた時に、小学生ぐらいの女の子がわざと近づいて来て「こんなに混んでいるのは外人まで来ているからなのよね」なんて嫌味たっぷりに言われた事があったわ。にくったらしい餓鬼だと思ったけれど、返す言葉が見つからなくて聞こえなかった振りをしてました。今は外見も年の功だからね、嫌味なんか言いに来る子供はいないわ。 2022年4月この記事を書いてからもう9年になりました。その間、アフガニスタンやシリアやウクライナの避難民が増え、元東ドイツでも外人が珍しくなくなっています。私も特別な目で見られるような事はなくなって来ました。で、ちょっとだれてきたかな。