【84】5月の旅 バードフランケンハウゼン
日本では4年ぶりのウィーン少年合唱団の来日でファンたちが落ち着かない最中、こちらはのんびりと5月の最初の週末にこの写真のホテルで一泊する旅行を決めました。目的地はドイツの緑の心臓と言われるテューリンゲン州とそのお隣のザクセンアンハルタ―州です。と言う事で旧ブログからの引っ越し記事は一時お預けです。2023年5月7日 日曜日 今日はプップクンの誕生日。ちなみに、昨日(6日)はイギリス国王の戴冠式をライヴで見ながら、ウェストミンスター聖歌隊の歌声をじっくりと堪能しました。歴史に残るセレモニーを我が家で見たのじゃ~。日本でも絶対にライヴ放送したと思いますね。チャールズ王子とレディー・ダイアナの結婚式も中継で見ましたが、イギリス王国の戴冠式まで中継で見られるなんて、今更ながら今の時代はすごい体験ができると思いました。1953年のエリザベス女王の戴冠式の時はテレビなんてなかったのですものね。ものすごいスピードで技術の発展が進んで行く中、戦争だけは昔のままの人殺し。そんなところにエネルギーを使わない世界になる日は・・・まぁ、バカな人間の存在する限り来ないんだろうなぁ。5月7日に戻ります。まず初めに我が家から突進する先は旧東ドイツのザクセンアンハルト州のナウムブルクという小さな町です。そこにはユネスコ世界文化遺産に定められているナウムブルク大聖堂があり、ベルリンに壁があった頃、そこの白黒の絵葉書を見て行ってみたいと思っていたところでした。(その絵葉書が見つかったら載せましょう。)・・・・・で、突っ走る。今は菜の花畑があちらこちらで咲き誇っています。で、何秒かの動画なんか見たくないひとは静止画車窓を開けると車内に菜の花の香りが入ってきます。通り越すエルベ川には満々の水がたたえられていました。これはバルト海方面に流れている静止画。今年もこの川の水が少なくなって、船が通れなくなる夏が来るそうです。で、そう言う怖い話は飛び越して4時間後にはナウムブルクに到着。白黒写真で見ていた当時はドイツの古都は憧れだったけれど、何年も住んでいると、ドームはどこも似たり寄ったりだと、見る方はマンネリ化しているのに気が付きました。このドームには12体の寄贈者の像があって、そのうちのひとつ、ウタの像が白雪姫の物語に出てくる女王のモデルになっていたとか。この服装の写真で見るとそんな感じもしなくはない。この女性はここの辺境伯、つまり地主様の奥方様。でもプップクンが興味を示さないので、入場料を払ってまで見る事はない、とそそくさと車に乗り込み、次の目的地へ。はい、また菜の花畑がありました。静止画。どういうわけか、崩壊した古城に魅力を感じて、いえ、へばりついているので、行き着く先はエルベ川の支流のザーレを見下ろすザーレックの丘に立つ-----------やっぱりいにしえの城の跡。遠くに眺めて郷愁に心委ねるも良し。でもね、いつまでも映画「青きドナウ」の団員達に憧れる気持ちでいるってのも大人げないので、またもやへばりつき病から抜け出す手段を取ります。と言う事で来ました。11から13世紀の間に建てられたというルーデルスベルク城。あの憧れだったデュリュンシュタインの城跡も征服したし、こういうのはテンション上げないで見学ですね。30年戦争でスェーデン軍に破壊されたものの、その後多々の貴族の邸宅として使われたそうな。1826年にクーグラ―と言う歴史家がここで詩を書いて、それが民謡として歌われるようになったとか。ドレスデンクロイツが歌っていますね。石橋を渡って中を覗いてみたいですね。壊れた城は1870年代の皇帝ヴィルヘルム1世の時代に一部復元されています。正面階段と付属の部屋が付いた騎士の間ですって。今はそこがこんな感じでレストランになっています。手前のアーチが無くなっているので崩れてしまったのでしょうね。あっ、この人が民謡の詩を書いたフランツ・クーグラ―さん。ここから見たザーレ川です。向こうの橋からこの城跡の最初の写真を撮りました。いやぁ、この青い貨物列車の長かったこと!そして、あの青きドナウの陸橋を思わせる形の石橋。最後にもう一度写真を撮って、此処を離れます。次に向かうは今日泊まる予定のお隣のテューリンゲン州。はい、また菜の花畑です。ここで見たのはまたもや気に掛かる枝垂れ柳です。3月よりだいぶ「野ばら」の枝垂れ柳に近づいて来ましたね~。実は我が家のある街のはずれにも枝垂れ柳があったのを最近見つけました。ここまで大きくないけれど、嬉しかったですよ。さあ、丘の上の私達のホテルに着きましたが、時間があるのでバード・フランケンハウゼンの見学です。ここは塩を含んだ地層があるので、湧き水に塩分が溶けているんですよね。これは塩水泉の一つ。丘の上に私達のホテルが見えます。ここでは観光用に塩造りの職人が1日中火を起こしていました。私も援助のつもりで塩を一袋買いましたが、5ユーロもしました。大切に使うので、まぁ、3年は持つでしょうね。このプールも塩水。 この泉も塩水広場には赤いマロニエが花を咲かせています。この町で最も愉快に思ったのはピサの斜塔ならず、教会の斜根・・・屋根。998年に地下空洞があるのを知らずに建てられた、初めは小さな木造の教会だったそうです。14世紀ごろ建て直されて、数世紀掛けて曲がって来たそうな。地下の空洞も崩れて今ではピサの斜塔よりも傾いているそうです。今残っているのは教会の塔だけで、ちゃんと支えが付いています。東ドイツが西と合併されないままだったらこれも本堂みたいにとっくに崩れていたかもね。私はひと泳ぎ、プップクンはサウナ・・・と道は分かれる。今日の夕食はあの可愛い子供達の泉の前にある歴史的なレストラン・・・と言っても歴史だけはあるけれど、別に高級レストランではありません。プップクンは鹿のグラーシュ 私はヒラメのフライ私達のお部屋は何の変哲もないのですが外の眺めには満足。窓から見えるのはあれも古城の一つだったらしい。昼の顔と 夜の顔・・・・・おやすみなさい。翌日・・・レストランから見える傾いた教会・・・・・・・傾いたまま。ホテルからの最後の眺めです。このホテルも昔はこんなだったそうです。変われば変わるもんだ!もう一度斜根の塔に「倒れるな~」と声を掛けましょう。そして、最後の目的地へ出発します。バートフランケンハウゼンの街よ、この次までさようなら。15分も掛からないうちに見えてきました。キフホイザー山です。ここにはキフホイザー城の廃墟(また廃墟かよ)が残っていて、15年も前に来たことがあったのでした。それこそずっと昔、まだ女学生の頃に「赤ひげ王」と呼ばれた皇帝バルバロッサの伝説を読んだことがありました。後に神聖ローマ皇帝となり、68歳で溺死しましたが、その死体は見つからず、帝国に危険が及んだ時にまた生き返って国を救いに来るという伝説の人物です。あそこまで歩くの、いやだなぁ~、と思いましたが、空気が爽やかでデュリュンシュタインの廃墟を上がった時ほど暑くなかったので、5回ほど休んだだけでした。小鳥の鳴き声が驚くぐらい周りから聞こえていました。あんまり何度も休んだので、此処まで来るのに30分掛かりましたよ。あそこに見えるのはババロッサではありません。ババロッサの像はこの塔の下にあります。この青空も嬉しかったけれど、観光客がほとんどいなくて、まるで貸し切りみたい、と言うこの優越感!!この記念塔の真ん中にあるのはプロイセン皇帝のウィルヘルム1世の騎馬像。この塔の下には博物館があって、1871年にパリのヴェルサイユで彼がプロイセンの王から皇帝になった時の戴冠式の画がありました。鉄血宰相と言われたビスマルクはこの皇帝に仕えていました。ここは記念塔だけかと思っていたのでしたが、やはりお城が建っていたのです。一番左端の塔は残っていますし、手前の右のお城も廃墟になっているようです。さて赤ひげのバルバロッサは、このプロイセン皇帝を守るかのように、この塔の下で構えています。さて、大分足の疲れも取れてきたので、此処でまた頑張ることにしました。上がりますよ~。この狭い暗い螺旋階段を見たら、すぐにライ二―さんを思い出しました。その時の彼のコンサートはチェコの国境に近いツウェッティ修道院で、夜だったのでカソックの裾を踏まないようにして暗い階段を登ったそうでした。真っ暗闇を蚊の大群に襲われながら手探りで車まで戻ったって。もうこの次は断る事にしますって。私ももう目が良く見えなくなっているので、ゆっくりと階段を登ります。一番上まで登って、天辺の天井まで撮ってきました。ここからの眺めは・・・・菜の花畑・・・・・。私が生まれる前にここに来た日本人の書いた記録誌を見つけました。夢中になって読んでしまいましたよ。キフホイザー 野上豐一郎 アウトバーンに入ると、遠くに今見て来た城跡が望めます。そしてまたいくつもの菜の花畑を見ながら家路につきました。