『「北方領土」上陸記』上坂冬子(文藝春秋)
著者の上坂冬子さんは、1930年東京生まれの作家です。この本は、2003年10月の発行です。日本が自国の領土として主張し続けている北方4島に行く方法は、墓参、ビザなし交流、自由訪問の3つだけです。上坂さんは、2002年6月にビザなし交流で上陸しました。1956年の日ソ共同宣言によると、日ソ間に平和条約が締結されれば、歯舞と色丹は日本に返還すると明記されています。4島のうち2島が返還されるなら半分かというと、どうもそうではないらしい。4島の93%の面積を択捉と国後の2島で占めており、歯舞と色丹は7%の面積にすぎない。また、4島の総面積はどれくらいかというと、沖縄の2倍ほどとのこと。千葉県とほぼ同じとのことです。結構広いです。ちなみに日本の島を大きい順に書いてみると、大きさがわかると思います。1.択捉島 3,182平方キロメートル2.国後島 1,498平方キロメートル3.沖縄島 1,204平方キロメートル4.佐渡島 854平方キロメートル以下は気になった箇所の【引用】と【感想】です。【引用】日本がソ連案を受け入れて歯舞諸島と色丹島以外の北方領土と千島列島をソ連に帰属させるなら、「アメリカはサンフランシスコ講和条約第26条にもとづいて、沖縄の併合を主張しうる地位に立つ」と主張したのである。【感想】「ダレスの恫喝」というものがあったそうです。初めて知りました。1956年に重光外相がダレス国務長官を訪ねたときに、恫喝されたそうです。その内容とは、「ソ連との間で2島返還に応じたら沖縄を返さんぞ~」というものです。日本が4島返還を主張し続ける理由の一つに、こんなことがあったのですか。驚きました。【引用】イルクーツクで森首相はプーチン大統領に、まもなく自分は首相の座を退くと話したという。プーチン大統領は一瞬、顔を曇らせて、「誰が首相になろうと、その人と交渉を再開すればよい。しかし私はヨシ(プーチン大統領は森首相を非公式にこう呼んでいた)とやりたい」【感想】森首相とプーチン大統領との関係は良好でした。しかし、森首相の苦肉の策である「並行協議」(2島返還を既成事実として認め、これと並行して残る2島返還も協議しつづけるもの)は立ち消えになってしまったとのこと。その間の経緯を書いていたら長くなるので省略します。歴史的な業績を残せるチャンスだったのですが、森首相は大魚を逃してしまったというところでしょうか。以下は、2005年2月2日に追記しました。最近の日本の主張は、東京宣言に基づいているようです。東京宣言とは、平成5年、来日したロシアのエリツィン大統領が細川首相と会談して著名。帰属問題を、「歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び方と正義の原則を基礎として解決する」こと明記している。