クリスティアン・クレーネス他「ユダヤ人の私」元町映画館no120
クリスティアン・クレーネス他「ユダヤ人の私」元町映画館目を覚ますとわたしは考える。まだ強制収容所にいるのか? 106歳の老人が、夜中にふと目を覚ましてそう思う。収容所から解放されて70年以上もの月日が過ぎた今でもです。 語っているのはマルコ・ファインゴルトという、1913年にハンガリーで生まれ、オーストリアのウィーンで大人になった人です。1939年に逮捕されたときに26歳、アウシュヴィッツ、ノイエンガンメ、ダッハウ、ブーヘンヴァルトと名だたる収容所を転々としながら生き延びて、映画に映っている姿は106歳だそうです。 カメラの前でぼんやりと記憶をたどるような、なんだかうつろな目をしている老人が、子供のころからの思い出を語り始めました。 子供の頃に亡くなった母の死、そして、父の死、父と母と子供たちのいる家族の姿が浮かんでいるようです。老人の眼に少しずつ生気が漂い始めます。 笑いを浮かべたかに思える眼差しがこちらを見て、青年の日のイタリアでの暮らしが語られ、パスポートを更新するためにウィーンに戻った1938年に回想がさしかかったとき、ナチス・ドイツによるオーストリア併合の熱狂の記録が挿入されます。ヒットラーにしてやられた。 兄とともに逮捕され、収容所での死の宣告を語る老人は、あたかも一人芝居を演じている名優のような深いまなざしをカメラに向けています。ふと、話すことをやめた老人が見つめているのは、生きのびることが「飢え」であった自分の姿のようです。「ARBEIT MACHT FREI」、「働けば自由になる」というレリーフが画面に浮かびあがり、収容所の様子やアイヒマンの裁判のシーンが映し出され、やがて1945年の解放の様子と、戦後の暮らしへと語りはつづいてゆきます。 戦後、届けられた兄の死亡通知、ホロコーストの時代を生きのびながら消息を失った妹、語りながらうつむく老人。うつむいた老人の脳裏には、家族をすべて失った収容所帰りの男の姿が浮かんでいるのでしょうか。 元親衛隊の人間たちの復権を怒りを込めて語り続けていた老人の眼が、ふと、しかし、たしかに、遠くを見つめてつぶやきました。人はすぐには死なない。自分が死ぬのを見ながらゆっくり死ぬんだ。 「おまえたちは煙突の煙になってここを出ていく」と宣告されて、以来、80年の歳月の間「死」を見つめ続けてきた人生が、そこに座って、ぼくを見ていました。 「何百万人という死者」、「奇跡的に生き残った生存者の警鐘」、「人類史上最大の悪」、言葉が消えて、一人の「人間」が座っていました。暗くなった映画館の椅子に、ボンヤリ座り込んで、彼の生と死を思いました。彼は2019年、「死」を見つめ終えたそうです。「ホロコースト証言シリーズ」という企画で生まれた作品だそうです。見ようと思っていたシリーズ第1作「ゲッペルスと私」を見損ねてしまったのですが、今日見た第2作の「ユダヤ人の私」には圧倒されました。ヨーロッパ映画の過去に対する向かい合い方に感動です。企画者と監督たちに拍手!でした。 先日、「東京大空襲」(岩波新書)の早乙女勝元さんの訃報に接しましたが、1932年生まれの方が90歳です。もう十年もすれば戦争を体験した人たちがいなくなる時代になるわけですが、この作品から感じられる危機感を、日本の社会ではあまり感じたことはありません。軽佻浮薄を絵にかいたようなことを平気で口走る輩に、イイネ、イイネと付和雷同している風潮が世を覆っている息苦しさ、何とかならないのでしょうかねえ・・・・。監督クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー クリスティアン・ケルマー ローランド・シュロットホーファー製作クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー脚本フロリアン・バイゲンザマー クリスティアン・クレーネス ローランド・シュロットホーファー撮影クリスティアン・ケルマー編集クリスティアン・ケルマーキャストマルコ・ファインゴルト2020年・114分・オーストリア原題「Ein judisches Leben」「A JEWISH LIFE」2022・05・10-no67・元町映画館no120