川越 日帰り旅行
刀剣乱舞コラボでクルーシャルの御朱印帳を買ったので、ページを埋めたいと思って川越に旅行に行く事にしました。川越はテレビで何度も紹介されているメジャーな観光地。休日には身動き取れないだろうと思って、24日(金)、飛び石連休の平日に行きました。川越はうちからは車で1時間半ほど。市内観光用の無料駐車場は、JAいるま野農産物直売所(あぐれっしゅ川越)との共同駐車場で、そこに車を停めて、あとは徒歩で回ります。駐車場でお散歩ピンを立てたんですが、家からの直線距離は27.6kmでした。川越は寺社仏閣が多くあります。観光案内HP「小江戸川越ウエブ」のマップダウンロードの中にお散歩マップ②「御朱印・ご利益いただきますコース」というのがあったのでそれを参考に回ることにしました。まずは川越氷川神社。東参道から入りました。この鳥居は木製としては日本最大級だそうで、鳥居中央の扁額の社号は勝海舟の直筆だそうです。氷川神社の創建は6世紀。室町時代に太田道灌が川越城を築城して以来、城の守護として崇敬され、江戸時代には藩領の総鎮守として歴代城主に大切にされてきたそうです。縁結びの神様としても有名らしく、境内に人型を流す占い(?)もありました。蔵造りの街並みで有名な一番街へ移動。10:30頃でしたが、外国人観光客も多くて、だいぶ混雑しています。途中で菓子屋横丁へ。思ったよりも狭いエリアですね。駄菓子屋さんが多いのかと思っていましたが、お土産向きのお菓子が多いみたい。小学生の社会科見学と思われる集団がいました。川越観光のシンボルと言われる時の鐘へ。400年前(1620年頃?)、川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたそうです。たびたびの焼失で再建を繰り返して、現在は4代目。この時の鐘の下をくぐって、その奥の薬師神社へ。薬師如来が祀られていて、病気平癒、特に眼病を治してくださるそうです。右手側に稲荷神社があり、出世開運、合格祈願のご利益があるそうです。開運をお祈りしてきました。近付くときに突然犬に吠えられ、私も含め、居合わせた観光客全員びっくりしました。右手側の民家の塀の下から、犬が鼻面を突き出していました。可愛かった。時の鐘のある通り沿いのスタバへ。スタバのアプリを入れていて、アプリで支払うとアプリのスタンプがもらえるのです。それが欲しくて、どこに行ってもスタバに寄らずにはいられない。店内、和風を意識した装飾で可愛いです。庭もある。今日みたいな気候のいい日なら外でもいいですね。ストロベリーフラペチーノとクレームブリュレラテを飲みました。トイレの入口が暗証番号を入れないと開かない方式で、購入した客にはレシートに暗証番号を書いてくれます。トイレだけ勝手に使う行儀の悪い観光客防止なんでしょうね。個室2つあるけど結構混んでて、だいぶ待ちました。一番街へ戻って、立ち並ぶ店を見ながら蓮馨寺を目指します。通り沿いにあった刃物屋さん。刀が飾ってあったので写真を撮ったのですが、ガラスが通りを映してしまうので難しい。銘が「武州 吾堅住小沢正壽 以 川越城古鉄造之」。相州伝、大正9年生まれの刀工さんの作のようです。川越城から発掘された鉄を使って打ったのかな?蓮馨寺(れんけいじ)。北条氏康の時代、家老の大道寺駿河守政繁の母である蓮馨大姉が、社会の平安を祈り民衆に心安らぐ場を与えようと建立し、甥の感誉存貞上人を招いて開山したのが始まり。明治初年に神仏分離令によって境内の熊野神社が独立。蓮馨寺ゆかりの呑龍上人(どんりゅうしょうにん)が祀られるようなりました。呑龍上人は干ばつで苦しむ地域には神威によって雨を降らし、飢饉で苦しむ農民の子を預かり育てるなど困った人や子供たちを救い、諸願成就で有名だそう。正面に鎮座するのはお釈迦様の弟子である「おびんずる様」。触った所が治ると言われ、皆に触られて、その部分の色が剥げてくるので25年に1度塗り直しをするらしい。今回はまんべんなく赤かったので、塗り直し後、そう年数が経ってないのかも。川越七福神の第5番霊場でもあり、福禄寿も祀っているようです。御朱印をいただきました。川越熊野神社へ。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の4神を祀る神社。夫婦神を祀るので縁結びや、多くの国や神々をお産みになった開運の神様として信仰されています。御社紋は、熊野大神のお使いである八咫烏(やたがらす)。夜明けを呼ぶ鳥・太陽を招く鳥といわれ、希望の世界に導く霊鳥として信仰されています。境内に、八咫烏さまのお告げが聞けるむすひの庭というのがありました。今ちょうど小烏丸さまを修行に出していて、この時に八咫烏に所縁のある神社に来れて御縁を感じて感慨深いです。境内にはジャンボ八咫烏のオブジェもありました。川越のあちこちにあるオブジェがみんなジャンボ。なんでかな。いただいた御朱印。川越八幡宮へ向かいますが、その前に本川越駅前のスーパーで野菜ジュースを買ってお札を崩します。特に飲み物がほしかったわけではないんですが、お賽銭の100円玉が足りなくなって。でも、思ったより喉が渇いていたらしくて、その場で飲んでしまいました。その後も、クレアモールという繁華街っぽい通りのゲームセンターで追加で両替しました。ちょっと疲れたかも。八幡宮に参拝した後に昼食の予定なので、もうひと頑張り。川越八幡宮お花が飾られていてきれいです。手水鉢もお花で飾られています。お花は毎週金曜夕方に替えるそうですが、1週間経っているとは思えないくらい華やかでした。川越八幡宮は、1030年に甲斐守源頼信によって創始。1028年、下総国の城主前上総介平忠常が朝廷に謀反を企てた長元の乱。その追討を命じられた甲斐守源頼信が、この地で必勝祈願を行い、3年続いた乱を3日で平定。頼信は御神威に深く感謝し、この地に八幡宮を創祀。以来、勝負の神様として崇められ、今日では受験生やスポーツ選手による必勝祈願が多いそうです。社殿の左手には民部稲荷神社。相撲稲荷とも称され、特に足腰の健康にご神徳があるとあったので、お詣りしてきました。その奥に、大国主命と少彦名命を祀っていました。国の内外をめぐって、生きるための技術や医薬の道を授け、病に苦しむ、特に「心身の目」に悩む人をお救いになったとのことで、眼病平癒の神様として信仰されているとのこと。最近、視力が落ちているのが気になっていて、こちらもお詣りしてきました。月ごとに鳩の位置が変わるらしい。地元民だったら12ヶ月そろえるんですけどねえ。お詣りが終わって、時間は13:00過ぎ。だいぶ歩いて疲れたし、そろそろ昼食にしたい頃合い。でも、クレアモールは普通の飲食店ばかりで川越らしい風情がないので、良さそうなお店を探しながら、次の目的地である仙波東照宮へ向かいます。しかし、このルート沿いには適当なお店が見つからないまま、仙波東照宮へ。疲れたよ。へとへと。仙波東照宮は、日本三大東照宮の1つ。1616年に徳川家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、1633年に建立。奥へ進むと本宮が。いや、あの階段はヤバいでしょ。今の自分に昇れる気がしない。そして、扉が閉められていてお詣りができない。え、何で?あとで調べてわかりましたが、公開は日曜・祝日のみだったらしい。残念。しかも、御朱印は八幡宮でもらえるらしいですよ。もらい忘れた。まあ、お詣りもできてないしね。御朱印だけもらうのも違うし、仕方ないか。隣接する川越大師 喜多院へ。途中にあった鐘楼門。慈覚大師が830年に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院。江戸時代初期、天海大僧正が第27世住職を勤めたそうです。家光誕生の間である客殿や、家光の乳母である春日局が使用していた書院などが移築され徳川幕府と所縁の深い寺。多宝塔。方三間の多宝塔で本瓦葺。下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのるという江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れているそうです。全体図。これを見ると、仙波東照宮も含めて喜多院のようですね。それなら何で御朱印を八幡宮に預けているんだろう?不思議。御朱印もう疲れ切っていたので、境内の休憩所でお団子を食べて休憩。焼き立てであったかくて柔らかくて、疲れきった体に染みる美味しさでした。休憩してちょっと元気が出たので、門前にあった白山神社へ。白山権現は830年に慈覚大師円仁が喜多院を創建した時に、天台宗修験道の霊場である白山より、この守護神として白山の神仏の分霊を祀ったもの。横には天海大僧正の像。道路を渡って、お向かいの日枝神社へ。日枝神社は、白山神社と同じく喜多院の創建時に、天台宗の本山である比叡山ふもとの日吉大社の神様の分霊を祀った神社だそうです。元々は喜多院の境内にあったが、1924年に、県道建設のため喜多院の門前に移転。東京赤坂にある日枝神社は、太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したもの。赤坂には国宝である則宗の刀があるんですよね。いつか見に行きたい。思ったよりも小さい神社で、社務所もなくて、御朱印はお賽銭箱の横に置いてありました。お詣りが終わって、14:45頃。お腹も空いたし、疲れ具合が本当に限界。ここで家族がお蕎麦屋さんの看板を発見し、そこで遅い昼食となりました。喜多院の北側の参道(?)にある茶そば寿庵。わりこそばを食べました。家族は茶そば、私は二八そば。注文した3段のわりこそばは、通常のせいろの半分くらいの量だそうで、お腹空いてるけど、疲れて食欲なかったからちょうどよかったです。さつまいもの天麩羅がめっちゃおいしかった。お蕎麦も美味しくて、さっぱり口当たりが良くて、元気回復。いいお店に出会えて本当によかった。風情があってここが本店なのかと思ったら、市内に3店あるうちの支店でした。元気を取り戻して、成田山川越別院へ。1853年に、当時廃寺となっていた本行院に、成田山新勝寺貫首照輪上人が開眼された不動明王を安置して再興されました。1876年(明治9年)に成田山の末寺となり、翌年に管理一切を成田山に移してから成田山川越別院本行院として現在に至るそうです。種々のお願い事の成就を祈る祈願所として、「川越のお不動さま」として親しまれているそうです。こちらの手水もお花が飾られています。八幡宮に比べるとだいぶ少なくなってしまっていますね。本堂の中へ入ってお詣りすることができます。中でロウソクをあげてきました。御朱印。この時点で16:00過ぎ。お土産も買いたいので、一番街へ戻ります。その後、予定では川越城本丸御殿を見るつもりだったんですが、時間もないし体力も付きかけてきたので、三芳野神社へ向かいます。カフェがあったら休憩するつもりでしたが、向かう途中にカフェはなし。今回、飲食についてはいろいろタイミングが合わない。向かう途中に、見る予定で諦めた本丸御殿の富士見櫓跡がありました。外側から通りすがりに見るだけですけど。三芳野神社は、川越城の鎮守として1624年に酒井忠勝によって再建されたらしい。学問の神様だそうです。わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地です。川越城内にあったため一般の人の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。しかし、川越城の南大手門より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見て、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する細道を通って、お参りしなければならなかった。一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられたことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになったのが始まり、とのことです。時間のせいか、観光地から離れているせいか、小さな本殿のみで目立たないせいか周辺に他に人はいませんでした。社務所は閉まっているし、手水の水も止まっている。子供の遊ぶ声だけが元気に響く、地元の鎮守様という雰囲気でした。御朱印は氷川神社でもらえるとのことで、朝イチで先にもらっておきました。三芳野神社からすぐ左手に、諦めた川越城本丸御殿が見えたので寄ってきました。まあ、これも通りすがりに外から眺めただけですけど。川越城は扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)が、1457年に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城したもの。明治維新後に多くが解体されたらしいです。現在に残る川越城本丸御殿は、1848年に時の藩主松平斉典により再建されたものの一部で、現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。川越城中の門跡と富士見櫓跡とともに、川越城の遺構。川越城の通りを挟んで向かい側、市立美術館の隣に会った川越菓舗 道潅。創業大正10年。店の前に巨大なうさぎのオブジェが。遠目には可愛いんですが、近付くと髭がビロビロだし、迫力あってちょっと怖い。お土産。亀屋栄泉で買ったお菓子。手作り箸工房 遊膳で買ったお弁当包みと箸置き。川越菓舗 道潅で買ったお菓子。右側は栗きんとんと、店の名前にもなっている道潅まんじゅう。駐車場に戻って、JAいるま野農産物直売所(あぐれっしゅ川越)で買ったさつまいも。疲れたけど、とても楽しい1日でした。万歩計の舗装は20,643歩。おお、疲れるわけですね。あと2回くらい休憩しときたかったです。川越は観光都市なので、カフェや飲食店、公共のトイレなども多数あって便利ですが、回り方によっては、住宅地に入ってしまって何もない、とかあるようです。一日中、晴れ。最高気温は20度。長袖にカーディガンで行ったんですが、日中はカーディガンを着ていると暑くて脱ぎました。明日から、気温が下がって冬の温度になるらしい。天候に恵まれて、よかったです。