「to be or not to be」「我々は、自分の想像どおりに限定された、または限りない存在である」
“To be, or not to be: that is the question.”このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、闘ってそれに終止符をうつことか。ハムレットのでの一幕。ここ半月ほど、タイトルの“to be or not to be”が離れない。毎日GARNET CROW「今宵エデンの片隅で」の3曲目「nonsense」(歌詞)を聴いているからだろう。3曲目に…ちょっとどこか釈然としないだけどやっぱり夢中になっちゃって頑張ってる人輝いてみえる そんでもってつられ思い出すのは そうだto be or not to beという箇所がある●GARNET CROW“今宵エデンの片隅で ”CD(2006/8/16)大体の人は、“生きるべきか死ぬべきか”と翻訳する。私も最初は、そう思っていた。しかし、翻訳は奥深い“このままでいいのか、いけないのか”と翻訳することで、より身近な言葉になり、日々に結び付けて考えやすい。「我々は、自分の想像どおりに限定された、または限りない存在である」(マーカス・アレン“自由への瞑想”など)いろいろなミスをした時に発する言葉が自虐的でマイナス的であれば、その言葉通りのこと、つまり想像の範疇として連鎖的に引き起こされるだろう。つまり、“to be or not to be”=“このままでいいのか、いけないのか”と問うた時に、その判断や予後は、自らの想像で決まってしまう。なんと恐ろしいことか今日も一日、“to be or not to be”を内に秘め、自分の想像を越えたエネルギーを得られるようにチャンネルを柔軟に開いていこう