赤福と亡き祖父
私の祖父は私が10歳頃に亡くなった。 朝起こされると、「じいちゃんが亡くなった。」と告げられ、 座敷には息をしていない「じいちゃん」がいた。 状況をよく把握せず、正装をさせられ、学校は休みになった。 そんな「じいちゃん」にまつわる記憶はあまりない。 でも、保育園の頃、近くの自販機まで一緒に歩いて行って ジュースを買ってもらったことは覚えている。 その頃には、もう杖使って歩行していた。 小学校に入ると、既に寝たきりになっていた。 幼少の私でも、何となく言葉が出ない「じいちゃん」のジェスチャーで、 今、お茶が飲みたいらしい、ということがわかり、全介助で飲ませていた。 そんな「じいちゃん」も、自宅では過ごせなくなり、病院へ。 伯父が会話もままならない「じいちゃん」に話し掛けたことが印象に残っている。 「今度、あんたの好きな赤福買ってくっで(来るので)、それまで元気でおられよ(いて下さいね)。」 しかし、その言葉空しく、息を引き取った。 大正5年生まれの「じいちゃん」にとっても、 それほど「赤福」は、「強い動機付け」になるのだ。 病には勝てなかったけれど、「赤福」の持つ意味は大きい。 ニュースを見て、ふと「じいちゃん」を思い出した。